東京大学在学中にリクルートを創業し、グループ27社を擁する大企業に育てた江副浩正氏(1936〜2013年)。1989年に「リクルート事件」で逮捕されるまで、卓越したベンチャー経営者として脚光を浴び、没後10年を過ぎた現在も高い評価が聞かれる。レジェンドとなった“ビジネスモデルの革命児”は何が優れていたのか。本連載では『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之/新潮社)から内容の一部を抜粋・再編集し、挑戦と変革を追いつづけた起業家の実像に迫る。 今回は、「住宅関連の雑誌は売れない」という業界ジンクスに逆らい、『住宅情報』を創刊した当時の悪戦苦闘を紹介する。 ■ 江副は長嶋茂雄 江副と碧は6年間住んだ逗子を離れ、都内に住むことを考え始めた。会社が大きくなるにつれ、江副は逗子まで帰るのが億劫(おっくう)になり、都内のホテルに泊まる機会が増えていた。碧のほうは、長女を私立の小学校に入れたいと考えていた。 麻布、青山、表参道。江副は週末を使って都内の物件を探すのだが、なかなかこれといった家が見つからない。「閑静な住宅街」と聞いて足を運んだ物件が、日当たりの悪い土地だったり、道路の付いていない奥まった土地だったりした。 無駄足を踏まされるたびにうんざりした。駅から何分とか、角地とか、日当たり良好とか、きちんと情報を整理して事前に客に伝えるべきだろう。 そこまで考えて、ハッと気づいた。求人情報と同じではないか。 問題は売り手と買い手の間にある「情報の非対称性」だ。どこにどんな物件があるのか、その地域の相場はどのくらいなのか、知っているのは不動産屋であり、買い手は情報をほとんど持っていない。気に入った物件が見つかったとしても、提示された値段が高いのか安いのか、判断がつかない。 買い手に入る情報と言えば、新聞に折り込まれてくるチラシと不動産屋の入り口に張り出された物件情報くらい。それも「駅まで十分」と書いてあるのに、歩いてみたら30分。不動産屋に文句を言うと「それは10分ではなく十分(じゅうぶん)と読むんです」と開き直られた、という笑い話があったほど、情報の質は低かった。