1日に80歳で死去したタレントのみのもんた(本名・御法川法男)さんは〝視聴率男〟の異名を持つ名物司会者だった。熟練した話術でお茶の間の心をひきつけ、独特の「タメ」で迷える回答者に質す「ファイナルアンサー?」は流行語になった。銀座通いの酒豪の一面も有名だったが、晩年はパーキンソン病に苦しめられていたという。 ■家業は水道会社 みのもんたさんは昭和42年に文化放送に入社し、2年目で深夜ラジオ「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに抜擢された。フリートークで台本がないラジオMCとしてキャリアを重ね、場の空気を把握し、表現する技術を身に着けたという。 54年には同社を退社し、家業である水道メーター製造・販売の日国工業(現ニッコク)に入社。営業マンとして活躍した。 みのもんたさんは、長い沈黙とその直後よどみなくしゃべる〝みの節〟が持ち味だった。家業の営業のかたわら、週末には民放番組でナレーターを務めるようにもなった。平成元年には人気番組「午後は〇〇おもいっきりテレビ」(日本テレビ系)の司会に起用され、人気司会者の地位を築いていく。 朝や昼の情報番組で数多く司会を務め、平成18年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録に認定された。当時、月曜から金曜まで「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)「午後は○○おもいッきりテレビ」、土曜は「みのもんたのサタデーずばッと」(TBS系)に出演し、出演時間は延べ21時間42分に及んだ。20年には自身の記録を更新した。 ■次男の不祥事で番組降板も ただ、視聴率男の道のりも順風満帆ではなかった。 平成25年には、日本テレビ社員だった次男が窃盗未遂容疑で逮捕(後に起訴猶予処分)され、自身も出演番組から降板を余儀なくされた。当時、会見で「辞めなければ(バッシングが)収まらない風潮を感じた」と語っていた。 みのもんたさんは各界に豊富な人脈を持っていた。政界では石原慎太郎元東京都知事や安倍晋三元首相、自民党の二階俊博元幹事長らと交流が深かった。 「反原発」の考えでも知られる。菅直人元首相は同年10月、ブログで、その背景について「原子力ムラ」の陰謀説があると紹介し、菅氏自身も原子力ムラの被害者だとする内容を展開した。(奥原慎平)