2025年は昭和100年にあたる。令和の今、昭和を生きた先人からから学ぶことは何か。約60年間にわたり昭和史研究を続けた半藤一利氏が、この後の日本の運命を大きく左右することになった「天皇・マッカーサー会談」を語る。前後編の前編。(JBpress編集部) (半藤一利:作家) ※本稿は『新版 昭和史 戦後篇』(半藤一利著、平凡社)より一部抜粋・再編集したものです。 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策が開始され日本政府がまず直面した問題は、天皇陛下がいかにしてマッカーサーに会うかということでした。まったく知らん顔というわけにはもちろんいきません。しかし相手が何を考えているのか全然わからないのですから、二人が会うことによって何が起こるか心配です。つまりその場で逮捕される可能性もあるわけです。 いろんな工作が試みられ、政府筋からは当時の外務大臣吉田茂がマッカーサーのもとへ赴き、それとなく打診を、また宮内省からは藤田尚徳侍従長が面会を申し込みます。侍従長は海軍出身で、藤田さんは海軍大将です。 互いに軍人ということもあり、マッカーサーは快く会ったようで、「天皇陛下が閣下にお会いしたいということならば承諾していただけますか」という問いに、喜んで、と返事をもらったわけです。 吉田茂がどのようなかたちで会うかといった工作をしていたのとそれがちょうど同じ日で、エレベーターのところで擦れ違ったなんて偶然もあったようです。 というわけで、天皇陛下がマッカーサーのもとへ赴くかたちが決まりました。といっても第一生命相互ビルではいろんな問題もあるというので、結局、アメリカ大使館で9月27日に会うことになりました。 もちろん、すでにはじまっているアメリカの日本占領政策ですが、根本的には、この最初の二人の会見に基礎をおくような気がしないでもありません。というわけで、すでに有名な話なのですが、改めて少し詳しくお話ししたほうがよいでしょう。