挑戦者がいつの間にか既得権益者に…“叩かれる起業家”の先駆けだった江副浩正が掘った大きな墓穴とは?

東京大学在学中にリクルートを創業し、グループ27社を擁する大企業に育てた江副浩正氏(1936〜2013年)。1989年に「リクルート事件」で逮捕されるまで、卓越したベンチャー経営者として脚光を浴び、没後10年を過ぎた現在も高い評価が聞かれる。レジェンドとなった“ビジネスモデルの革命児”は何が優れていたのか。本連載では『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之/新潮社)から内容の一部を抜粋・再編集し、挑戦と変革を追いつづけた起業家の実像に迫る。 今回は、挑戦者だったリクルートがプラットフォーマーになった時期の“落とし穴”を振り返る。 ■ 論語と算盤 経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは「経済成長を生み出すのはアントレプレナー(起業家)によるイノベーションである」と説いた。イノベーションは日本語で「革新」と訳されることが多いが、シュンペーターはそれを「創造的破壊」と定義している。 江副はシュンペーターのいうイノベーター(創造的破壊者)であり、その破壊力は凄(すさ)まじかった。 江副が打ち立てた情報誌のビジネス・モデルは、これまで朝日、読売、電通に富をもたらしてきたマスメディアの秩序を「破壊」した。江副は恨まれ、敵を作った。 一方で江副は、違法でなければ、既存の道徳律や慣習からはみ出ることを厭(いと)わない。「空売り」「底地買い」「学生名簿の売却」「青田買い」「未公開株の譲渡」…。江副にとってビジネスとは資本主義のルールに則(のっと)った「ゲーム」であり、知恵を絞って強敵を出し抜き打ちのめしたときに、無上の喜びを感じるのだ。 だが日本には手段を選ばず勝つことを良しとしない儒教的な文化がある。江戸時代末期、幕臣の福沢諭吉が幕府に頼まれて西欧の経済書を翻訳したとき、「competition(コンペティション)」という言葉を「競争」と訳した。これに対し幕府の役人は「争うというのは、穏やかでない」と難色を示した。

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