’23年4月にさいたま市内で同居する義母を殺害し、自宅の床下に遺棄した罪に問われた渡辺美智子被告(55)。2月12日までさいたま地裁で行われた公判にて、懲役7年を言い渡されている。 だが、渡辺被告は判決が不服だとして高裁への控訴を決めている。その裏には、渡辺被告と義母との間の「いびつな関係」があった――。 「実家の母にお金を要求するたびに、義母がうその台本をつくって、『女優になりきれ』と言われました。うまくいかないと、『あんたの言い方が悪い』とお金を取れるまで、何回でも実家に電話させられました。嫌でしたが、(義母が)怖くて、やめたいと言い出せませんでした」 ’25年1月29日からさいたま地裁で、同居する義母を殺害し、その死体を遺棄したとして殺人と死体遺棄の罪に問われている渡辺美智子被告の裁判員裁判が開かれた。3日目となる1月31日には、引き続き、被告人質問が行われた。 その中で裁判官の「実母にお金を要求する時、どう感じていたのか」という質問に、渡辺被告は冒頭のように答えている。 渡辺被告は’14年ごろから、さいたま市内のメゾネット式のアパートで夫と息子、義母と義妹2人の6人で生活していた。主に夫の収入で生活し、家計を管理していたのも夫。下の妹は家計に月3万円を入れていたが、義母は年金が支給されても家計には入れていなかったという。 そして渡辺被告は、義母が命じるままに「積み立てていたお金を使い込んだ」「ストーカーをして慰謝料を払わなければいけない」と実母にうその電話をして、’18年8月から’21年6月の約3年間で、合計20回にわたり約770万円を実母に送金させていた。そのほぼ全額を義母に渡していたという。 渡辺被告は、実の母にうそをついてお金を受け取ってしまったという負い目と、義母の命令には逆らえないというジレンマから精神を病み、あまりのつらさから、’19年8月、ゲームサイトで知り合った岩手の男性のもとへ「家出」したこともあった。ただ、そこでも暴力を振るわれ、1ヵ月ほどで自宅に帰っている。弁護人に「家出から帰ってきた時の気持ちは?」と聞かれた渡辺被告はこう答えた。 「(実母と義母の)板挟みの状況は変わらないままですが、私の取った行動は間違いだった、自宅に帰りたい、夫や息子に会いたいと思いました。夫から責められたり、家出の理由を聞かれたりはしていません。 ただ夫が準備した『不貞行為を認めて150万払います』という誓約書にはサインしました。不貞行為はありませんでしたが、どうせ信じてもらえないだろうと思って、言いませんでした。(夫の)上の妹には『敷居をまたがせるな』と言われ、下の妹は、私が謝っても聞き流すだけでした」 ◆義母からの「暴力」 この時、慰謝料として夫に支払った150万円も、実母に出してもらったという。 自宅に帰ってからも、「なかなか朝、起きられず、家事もうまくできませんでした」(渡辺被告)と精神状態は悪化。心療内科に通院していたが、’20年2月4日を最後に受診しなくなった。 弁護人にその理由を聞かれると、「義母から『おまえが精神科に通院してることが周りに知れると、娘が嫁に行けなくなる』と言われました。義母は世間体を気にする方なので」と答えた。 ’21年8月に実母が死去したことで、渡辺被告は同年12月からデイサービスで働くようになったという。 「給料が振り込まれる口座のキャッシュカードと通帳は義母が管理していました」(渡辺被告) だが、翌’22年の2月には渡辺被告は退職。仕事を辞めたころから、義母の振る舞いに変化が起きたという。渡辺被告に対して、いろいろな嫌がらせをはじめたというのだ。「例えばどのような嫌がらせですか?」という弁護人の質問に、渡辺被告はこう証言した。 「いきなり部屋に入ってきて私の鞄の中身を床にぶちまけたり、『ごくつぶし』などの暴言を吐かれるようになりました」 何よりつらかったのは、「大事にしていた父親の写真を捨てられたこと」だと渡辺被告は声を詰まらせた。 「亡くなった父は仕事人間で、めったに笑わない人だったんですが、とてもいい笑顔の写真があって、大切にしていました。それが2階のゴミ箱に捨てられているのを見つけた時は、本当にショックでした……」 弁護人は「月に数万円しか稼いでこない被告人はこれまでのような金づるにならないので、義母はイライラしていたのでしょう」と説明した。この理不尽な「嫌がらせ行為」は、公判のなかで事実として認定されている。 そして’23年3月ごろから、義母は渡辺被告が150万を隠し持っていると疑いはじめ、渡すように執拗に迫った。 「二人きりになると、毎日、『150万、出せ』と言われました。『私は小銭しか持っていません』という念書を書かされたこともありました。また、拳で殴られたり、包丁を鼻先に突きつけられたり、台所用漂白剤を目にかけられたりという暴力を振るわれたこともあります」(渡辺被告) ◆涙ながらの「告白」 そして’23年4月22日、「目の前にもやがかかったようになり、心の中でブチッと音がした」渡辺被告は、そばにあったビニールひもで義母の首を絞めて殺害した。 「心の中でブチッと音がしたというのは、お金を要求されたことがつらかったということですか?」と裁判官が質問すると、渡辺被告は大きく頷き、涙ながらに話しはじめた。 「私自身がもう限界で。’21年の7月に母(実母)に電話した時、ちょうど母が入院する前で、私は母が入院することも知らなくって、電話口で泣かれてしまったんです。その時は自分の用事で電話したんですが、はじめて母を泣かせてしまって、何を言っているのかわからなくなって、またあとで電話するって切って。それが、最後の会話になってしまいました。その前に話した時には、『あなたの電話はいつもお金の話ばかり』と言われていたんです」 裁判官が「実母を泣かせたことで義母を恨んでいたのか?」と質問を続けると、 「それは、ただ……」 とはっきりと答えず、言葉を濁した。 取り調べの最後、江見健一裁判長が、渡辺被告にこう問いかけた。 「被害者(義母)から、いろんな嫌味を言われてお金の要求をされても、それまでは『持ってない』と、なんとか、しのいでいたわけですよね。それが、この時はブチッと切れて殺してしまった。我慢ができなくなって行動してしまったことを、どう振り返っていますか?」 傍聴席からは渡辺被告の表情はうかがえなかったものの、じっとマイクを見つめながら答えを考えているようだった。しかし、何も言葉を発しないまま時間が経ち、17時の終鈴が鳴った。 江見裁判長が「ちょっと厳しい質問でしたかね。答えられなくても、終わりましょうか」と閉廷を告げると、気力が尽きたのか、渡辺被告は証言台から立ち上がることができず、その場で手錠をかけられたのだった。 後編記事『【遺体を隠し、何ら変わらない生活を…】義母を殺害し床下に遺棄・50代主婦を追い込んだ「絶対服従」』では、判決が言い渡された後の渡辺被告の「驚くべき挙動」について取り上げる。 取材・文:中平良