福島県知事を5期18年務め、地方分権の推進や本県の均衡ある発展に尽力した佐藤栄佐久(さとう・えいさく)さんが19日午前3時1分、老衰のため郡山市の高齢者施設で死去した。85歳。自宅は郡山市。通夜は27日午後5時、葬儀・告別式は28日午後2時から郡山市方八町の郡山斎場で。喪主は長男栄祐(えいゆう)さん。 佐藤さんは郡山市出身。安積高、東京大法学部卒。日本青年会議所副会頭を経て1983年の参院選で初当選し、大蔵政務次官を務めた。参院議員を辞職して立候補した88年の知事選で初当選。以降、連続5回当選した。全国知事会副会長、北海道東北知事会長などを歴任した。 知事時代は一貫して地方分権の確立を掲げ、小中学校の少人数学級制や森林環境税の導入など独自施策を展開、地方の自立を目指して積極的に声を上げた。 2002年に東京電力のトラブル隠し問題が発覚した際には、福島第1原発でのプルサーマル計画受け入れを白紙撤回。原子力政策への問題提起を通じ国とも対峙(たいじ)するなど、「物言う知事」としても知られた。 任期中は、ふくしま国体やうつくしま未来博の開催のほか、福島空港の開港と国際化、会津大開学、あぶくま高原道路の整備、アクアマリンふくしまの開館など大規模な事業を次々手がけた。東京一極集中に異議を唱え、本県への首都機能移転も推進。1997年に発覚した県の公費支出問題では大きな批判も浴びた。