元捜査員から事件を知らない若者へ…地下鉄サリン事件から30年 オウム真理教の関与突き止めた長野県警の薬品捜査とは…「科学の使い方を間違えないで」

オウム真理教による地下鉄サリン事件の発生から、20日で30年となりました。 その前の年に発生したのが松本サリン事件です。 松本の事件で薬品捜査を続け、オウム真理教の関与を突き止めた元警察官の男性が、科学を学ぶ高校生に向けて語りかけました。 事件を知らない若者に伝えた思いとはー。 1995年3月20日。 東京都内を走る3つの地下鉄で猛毒のサリンがまかれました。地下鉄サリン事件です。14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負った凶行。犯行に及んだのはオウム真理教でした。 警察は事件の2日後、山梨県旧上九一色村(かみくいしきむら)にあったオウム真理教の施設を強制捜査。 その後、麻原彰晃(あさはら・しょうこう)こと松本智津夫(まつもと・ちづお)元死刑囚らが逮捕されました。 その裏には、オウム真理教の関与を突き止めた、長野県警の薬品捜査がありました。 元長野県警 上原敬さん:「サリン・化学兵器を使った事件というのは、犯罪史上世界で初めてだった、そんなことが松本で起こるのと、半信半疑でした」 元長野県警の上原敬(うえはら・たかし)さん。 地下鉄サリン事件の1年前に発生した松本サリン事件で、薬品捜査を担当しました。 3月5日、飯山高校での講演会に招かれ、科学を学ぶ生徒およそ300人に当時の捜査について語りました。 1994年6月27日。 死者8人重軽症者600人以上に上った松本サリン事件が発生しました。 事件の6日後に明らかとなった、未知なる猛毒・サリン。 上原さんたち薬品捜査班では化学式を逆算するなどして、サリンは5つの工程で作られると仮説し、薬品の入手経路をたどりました。 元長野県警 上原敬さん:「薬品はどこで売ってるのかっていうのは、今ならインターネットか何かで調べられるんすけど、当時はそれがないのでカタログなんですね。製造会社から販売ルートをたどっていって、この薬品はどこに卸さされてるんですかっていうのが調べていったんですよ」 全国4200か所以上に及んだ捜査の末、たどり着いたのは大量に薬品を購入していたオウム真理教でした。 元長野県警 上原敬さん:「宗教団体があの薬品買うのかなと、えらいことになってきたぞというのが、第一歩だった」 しかし、強制捜査はできませんでした。 元長野県警 上原敬さん:「サリンを作るためには毒物を使わなくちゃいけないんですけど規制がない。規制がないので、取締りができない状況」 その後、地下鉄サリン事件が発生。 ただ、上原さんたちの薬品捜査で教団に迫っていたことが2日後の強制捜査につながりました。 上原さんは事件に関わった人間の中には、優秀な若者もいたと当時を振り返ります。 元長野県警 上原敬さん:「熱意とか知識、方向さえ間違わなければ、もっと違う意味で社会に貢献できたのではないか」 上原さんは高校生に対し、SNS上などであふれる情報が正しいかどうかを疑い、科学の使い方を間違えないでほしいと訴えました。 元長野県警 上原敬さん:「科学は使い方によっては人類を幸福にもするんだけど、逆の方向に誤ってしまうこともあるのではないかなというふうに思ったわけです」 講演を聞いた高校生はー。 高校生:「科学って社会を豊かにすると思うけど、その一方で、社会を壊してしまうこともあるので、繰り返してはいけないなと思いました」 高校生:「色んな情報を収集して自分で正確な情報を身に着けて社会に出られるようにしたい」 高校生:「間違った方向にいかずに、考えながら(科学を)役立てて行けたら」 事件を知らない若者へ、サリン事件に携わった捜査員の思いは受け継がれました。

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