「そして電話が鳴った」 トルコを追放されたBBC特派員、当時の状況を語る

マーク・ロウエン特派員 私は家族に「トルコに戻れてうれしい」とメッセージを送ったばかりだった。以前、住んだことのある国を再訪し、まさに家に帰ってきたような気分だった。すると、ホテルの部屋の電話が鳴った。 「緊急の件で直接お話ししたい」と受付係が言った。「降りてきていただけますか?」。 ホテルのロビーに行くと、私服警官が3人待っていた。警官らは私にパスポートを見せるよう求め、同僚による撮影を阻止しようとしながら、私を連行した。 イスタンブールに来て3日目、3月26日のことだった。同市のエクレム・イマムオール市長の逮捕に端を発した反政府抗議活動を取材していた。 私はまず警察本部に連れて行かれ、7時間拘束された。同僚2人が同席を許され、弁護士も話をするために入室できた。雰囲気はおおむね和やかだった。中には、これは国家の決定だと言いながらも、賛同しないと話す警官もいた。ある警官は私を抱きしめ、私の自由を願っていると言った。 午後9時半、私はイスタンブール警察の外国人拘束施設に移送された。雰囲気は硬くなり、私はたどたどしいトルコ語で、連続してたばこを吸い続ける警官たちと交渉しなくてはならなかった。指紋を取られ、弁護士や外部との連絡を求めたが認められなかった。 翌27日に日付が変わると、私は「公共秩序の脅威」として国外追放される旨の書類を提示された。説明を求めると、政府の決定だと言われた。 警官の一人が、私が自発的にトルコを離れると言っている映像を撮影しようと提案した。私が将来トルコに戻る時に役立つし、自分も上司に見せることができるという。だが、政府が管理するメディアに渡され、政府の主張を押し通すために利用されると疑い、丁重に断った。 午前2時30分、私は最後の場所となった、空港の外国人拘束部局の部屋に移送された。硬い椅子が数列並んでいて、そこで寝るように言われた。警官が歯を磨きに入ってきたり、飛行機が離陸したりし、さらに朝の祈りの呼びかけも聞こえてきて、眠ることはできなかった。 拘束から17時間後、私はロンドン行きの片道便に乗るため、待機中の飛行機に連れて行かれた。その夜、この件が公になり、世界中で大きく報じられると、トルコ政府の報道官は声明を発表。私が正しい取材許可を取っていなかったとした。拘束中には一度もこうした説明はなく、私の国外追放を正当化するための後付けの理由であることは明らかだった。 私はこの試練の間、虐待のような扱いを受けることはまったくなかった。そして、BBCの管理部門とイスタンブールのイギリス領事館が、私の解放に向けて懸命に動いていることを常に知っていた。 だが、トルコ当局に目を付けられた多くの人々には、こうしたセーフティーネットがない。私がBBCのイスタンブール特派員としてトルコに住んでいた2014年から2019年の間、トルコは世界最大のジャーナリスト収監国だった。監視団体「国境なき記者団」によると、トルコは報道の自由度ランキングで180カ国中158位。また、最近の抗議活動が始まって以来、約2000人が拘束されたが、そのうち11人はジャーナリストだ。 この騒乱は、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の主要な政治的ライバルであるイマムオール氏の逮捕によって引き起こされた。世論調査によると、イマムオール氏は選挙でエルドアン大統領を退陣させる可能性がある。 しかし、この抗議活動はより広範なものへと発展している。権威主義をさらに強めているトルコでは、民主主義を求める声が高まっている。メディア弾圧は、権威主義の強まりの中心となっており、政府は批判や議論をいっそう抑圧している。私はそれを直接目撃した。私の場合は、悲しみを覚え、睡眠を奪われるだけで済んだ。だが他の人々にとっては、もっとひどいことになっている。 一方、エルドアン大統領は抗議活動を「街頭でのテロ」として相手にせず、強硬な姿勢を示し続けている。米ホワイトハウスに味方がいる現在の国際情勢や、ウクライナやシリアでの紛争におけるトルコの重要性などから、大胆さを増している。 今後の注目点は、10年以上ぶりの大規模なデモが勢いを維持できるか、それともトルコの長期政権を率いるエルドアン大統領がこれを簡単に退けるかだ。街頭に出ている人々は、エルドアン体制は「もう十分だ」と叫んでいるかもしれない。だがそうした人々は、エルドアン氏を決して見くびってはならないことも知っている。 (英語記事 'Then, the phone rang': BBC's Mark Lowen on being deported from Turkey)

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