なぜ広末涼子は2年に1回ペースで"壊れる"のか…「2度の離婚、ギャラ激減、傷害事件」彼女が本当に悩んでいたこと

■人生の大半を“破壊”して生きてきた 広末涼子はデストロイヤー(破壊者)である。 44歳の広末は、その人生の大半を破壊することで生きてきた、といってもいいのではないか。 彼女は中学生時代から芸能活動を始め、1996年、NTTドコモのポケベルのCM「広末涼子、ポケベルはじめる」で一躍人気アイドルになった。 翌年、『MajiでKoiする5秒前』で歌手デビューし、紅白歌合戦にも出場してトップアイドルの座を確かなものにしたのである。 私は映画『鉄道員(ぽっぽや)』(2000年公開)で、高倉健の相手役として、亡き娘・雪子を思わせる“透明”な少女を演じた広末涼子が好きだった。 その前年に、彼女は早稲田大学教育学部に推薦入学している。有名女優の入学は吉永小百合以来といわれ、彼女に会いたくて早稲田の受験者数が大きく増えたといわれた。 だが、広末は入学式には出席せず、初登校は入学式から3カ月後だった。初登校の日には取材陣が大挙して訪れ、在学生や野次馬も集まってきて3000人以上の大群衆となり、各テレビ局のニュースで大きく取り上げられた。 だが、彼女は早稲田に来ることは稀で、当時、東京芸大にいた伊勢谷友介(後に俳優になるが大麻取締法違反で逮捕)や後に格闘家になる金子賢などと噂になった。 また、2001に、ジャン・レノと共演した映画『WASABI』の記者会見で突然泣き出し、広末は情緒不安定だと話題になった。 ■「食堂の夫婦にお金を無心したり…」 後年、雑誌『FRaU』(2016年7月号)で、その時のことをこう語っている。 「そう。しかも、その『泣いた』という一部分だけをクローズアップされて、その前後のことには触れずに情緒不安定と言われて――。単純にあの時は、こんなに素敵なスタッフが一生懸命にいい作品を作ったのに、日本のマスコミの人たちの質問がすごく残念な内容で悲しくなってしまった――。でも、自分が幼かったとは思います。どちらにせよ、そういう感情は表に出すべきではなかった」 しかし、彼女はこの頃から奇行を繰り返すようになる。 「〇一年、クラブから朝帰りすると、都内自宅からタクシーで二時間半かけて千葉の白浜へ。路上に座り込み足首にテーピングをしたり、現地の食堂の夫婦にお金を無心したり……それらの一部始終を『FRIDAY』が報じた」(『週刊文春』4月17日号) 当時、広末を追いかけていた佐々木博之が、FRIDAYデジタル(4月15日 11:00)でこう書いている。 《やはり“奇行”が話題になっていた頃の話だが、都内のクラブに広末がいるという情報を得て、現地に行ってみると、なんと本当に広末がフロアで踊っていたのだった。 同伴者がいるかと周りを見渡してもいないようで、彼女は一人で来店していたようだった。ただ、店を出るときに気づいたのだが、当時交際のウワサのあった金子賢が店の外に一人で、携帯をいじりながらたたずんでいた》

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加