ベンツの助手席に100万円の束がゴロゴロ→自宅は2DKの質素な賃貸マンションに…1000億円を動かした“伝説の相場師”の意外すぎるプライベート

〈「君たちの顔が借用書だ」の一言で1億円を3日で回収…株式市場を席捲する“伝説の相場師”の資金源だった“政財界の黒幕”の正体とは〉 から続く かつて投資家集団「誠備」を率いて株式市場を席巻し、最盛期には1000億円を優に超える資金を動かした、伝説の相場師、加藤暠。その人脈は福田赳夫や中曽根康弘、小泉純一郎などの大物政治家から高級官僚、大物右翼、暴力団組長にまで張り巡らされていたという。 ここでは、 『株の怪物 仕手の本尊と呼ばれた男・加藤暠の生涯』 (宝島社)より一部を抜粋して紹介。1970年代後半から80年代初頭、仕手戦において多大な影響力を持ち、表では派手な言動を繰り返していた加藤。しかし一方で、プライベートの暮らしぶりは驚くほど質素だったという。勢いを増していく当時の様子を振り返る。(全6回の5回目/ 続きを読む ) ◆◆◆ 当時の加藤にとって1億円は人生を左右するほどの大金ではなかった。加藤はすでに1977年(昭和52年)12月には「株式受託売買高第1位」として会社から賞状を授与され、トップセールスマンの座を不動のものにしていた。加藤の岡三証券時代の同期だった高谷利彦は、黒川木徳証券に入った当時と比べ、その変貌ぶりに啞然としたという。 「最初は、政治家とも暴力団とも付き合いはありませんでした。ところがある時期から人脈も、金銭感覚もガラリと変わってしまった。証券マンなら1万円のお金だってきっちり管理するものですが、当時の加藤は、運転手付きのベンツに乗って、助手席には100万円の束が転がっているようなだらしない面が見え始めていました」

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