「一体、何カ国首脳と」…皇室の伝統と威力、改めて感じ入る 南アの英雄マンデラ氏追悼式 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(55)

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。50歳の若さで大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。 ■「復讐」にあらず… 《南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が2013年12月5日、死去した。反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動に従事し、1962年に逮捕・投獄されながら屈せず、獄中から27年間活動。90年に釈放され、翌年にデクラーク大統領とともに政策撤廃を実現。93年、ノーベル平和賞を2人で受賞した》 マンデラ氏は世界の英雄です。94年の選挙で黒人初の大統領に就任すると、自身を苦しめた白人への「復讐」ではなく、白人との「融和」を訴えた。忍耐、不屈、寛容、未来志向の姿は、世界の人々に感動と共感を生み出したのです。 ■追悼式の準備、大混乱に 《追悼式が5日後に行われることになった》 日本からは皇太子殿下(今上天皇陛下)が出られることになり、私は外務省アフリカ部長として、参列の責任者となりました。 特別機でヨハネスブルクに到着された皇太子殿下と、首席随員の福田康夫元総理を前にして、吉沢裕駐南ア大使は心配な表情を見せていました。 南ア側の準備が混乱し、首脳たちの接遇の段取りについて、まともに説明を受けていない状態だったからです。入場パスすら発行されていない。 すると、皇太子殿下は直ちに言われました。「それなら、早く会場に入ってしまいましょう」 私が「それでは、会場内で殿下を長くお待たせすることになります」と説明申し上げても、「早く行ったほうが良いでしょう」とおっしゃる。このため、式典開始の1時間以上も前に、会場に到着することになりました。実は、このご決断は「大正解」だったのです。 ■ガラス張りの貴賓室

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