土師さん「もう事件と向き合っていないんじゃないか」加害男性へ悔しさ憤り募る 神戸連続児童殺傷28年

1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、小学6年の土師淳君=当時(11)=が命を奪われてから24日で28年となるのを前に、父親の守さん(69)が取材に応じた。「もう事件と向き合っていないんじゃないか」。社会復帰した加害男性から手紙が途絶えて8年が過ぎ、悔しさ、やるせなさ、憤りが募る。事件を思い出さない日はなく、「なぜ私たちの子どもが命を奪われなければいけなかったのか」と今も真相を探し続けている。 「素直で優しい子だった」。まぶたに浮かぶ淳君の姿は11歳のままだが、自身や家族は年を重ね、孫もできた。「子どもの姿は当時から変わらず、私たちとの差が広がるばかり」と28年の年月を感じる。 一方、加害男性は2005年に関東医療少年院を本退院し、社会復帰してから20年が過ぎた。退院後、淳君の命日に合わせて手紙が届いていたが、15年に遺族に知らせず、事件について記した手記「絶歌」を出版。手紙も17年を最後に途絶えたままになっている。 「自ら犯した罪に向き合い続けてほしい」。加害男性には一貫して求め続けてきた。「事件と向き合い続ける義務がある」と繰り返す。納得できる答えは得られないかもしれないが、「希望は捨てずに手紙を待ち続けるしかない」と思う。 今年2月、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の代表幹事などを務め、犯罪被害者の権利獲得に尽くした岡村勲弁護士が亡くなった。多大な功績を前に「先生に代わる人はいない」。心に穴があいたような気持ちになった。 ただ、長く活動を共にした成果として、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく進展した。04年には犯罪被害者等基本法が成立し、兵庫県では23年に犯罪被害者等支援条例が施行され、24年度からは見舞金の給付も始まった。今後も犯罪被害者庁の創設を求め続けていく。 「私たちの時は何の支援もなかった」。活動の原点は事件当時の苦しみだった。被害に遭う人が自分たちと同じ思いをしなくて済むようにと願う。「それが、子どもの供養にもつながると思っている」(竜門和諒) ■土師守さんの手記全文 今年の5月24日は、私たちの次男の28回目の命日になります。私たち家族の次男への思いは、28年という年月が経過しても変わることはありません。 加害男性からの手紙は今年も届くことはありませんでした。私たちの子どもが、何故、加害男性に大事な生命を奪われなければいけなかったのかを知ることは、親としての責務だと思っています。加害男性には、自分が犯した事件に真摯に向き合ったうえで、私たちの思いに答えるような対応をしてほしいと思います。 兵庫県で犯罪被害者等支援条例が一昨年に施行され、昨年度からは見舞金の支給制度が開始されました。事件後に、犯罪被害者、遺族は経済的に困窮する場合が多くみられるため、地方公共団体の見舞金制度は非常に恩恵のある制度だと言えます。同制度を制定している市町村はかなり増えていますが、金額的には十分と言えず、市町村に加えて都道府県が同制度を制定することで、被害者の状況の改善につながります。しかしながら同制度を制定している都道府県はいまだに少なく、そのような状況で兵庫県が同制度を制定した意義は大きく、他の都道府県にも広がってほしいと思っています。 犯罪被害者の権利確立を目指した活動を、強いリーダーシップで主導してきた岡村勲弁護士が今年2月に逝去されました。2000年1月の「あすの会」の設立後、岡村先生は先頭に立って活動しました。その結果、04年には犯罪被害者等基本法が成立し、それ以降も被害者参加制度や犯罪被害者等給付金支給法(犯給法)、少年法の改正など多くの成果を残し、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく改善しました。 いったん、あすの会は解散しましたが、重要課題である経済補償の問題の改善が見られなかったことに危機感を覚えた岡村先生は、22年3月に「新あすの会」を立ち上げ、昨年には犯給金の大幅な増加が決定されました。まだ重要な課題は残っており、そのような状況で岡村先生が亡くなられた影響は非常に大きいと思いますが、残されたメンバーで岡村先生の遺志を可能な範囲で引き継いでいくことができればと思っています。 犯罪被害は決して人ごとではありません。今後、一般の方々の理解が進み、犯罪被害者を取り巻く環境がさらに改善することを願っています。 2025年5月24日 土師 守 【神戸連続児童殺傷事件】1997年2~5月、神戸市須磨区の住宅街で小学生5人が相次いで襲われた。3月16日に小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=が金づちで殴られ1週間後に死亡、5月24日に小学6年の土師淳君=同(11)=が殺害された。兵庫県警は6月、当時14歳だった中学3年の少年を殺人などの容疑で逮捕。少年は関東医療少年院に収容され、2005年に退院した。事件は、刑罰の対象年齢を引き下げる少年法改正の契機となった。

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