【スペシャル対談】大沢樹生×赤坂晃 光GENJIをもう一度「7人でステージへ!」

’87年にデビューすると実働約8年でCDを1200万枚売り上げ、バレンタインには4tトラック45台分のチョコレートが届いた伝説のスーパーアイドル『光GENJI』。’95年の解散後は、メンバー間の確執や不仲説が囁(ささや)かれたこともあった。だが、30年の月日を経て元メンバーの大沢樹生(56)と赤坂晃(52)が″合流″。今年4月20日から静岡県焼津市のローカルFMラジオ局「RADIO LUSH」で新番組『目指せ!7NOTES〜いつかきっと〜』をスタートさせた。グループ時代、年齢差ゆえに交わす言葉も少なかったという二人が、当時の苦悩を語る。 大沢 脱退したばかりの頃は、光GENJIとか当時の所属事務所を拒絶していた時期があったのは確か。ただ、いまはそういうのはないし、逆にウェルカム。自ら辞めたオレが言うのも変だけどね。 赤坂 でも、脱退したミッキーの気持ちもすごくわかる。ヒラヒラのかわいい服を着て、ずっとローラースケートで滑って踊ってはいられなかったからね。やっぱり「これをいつまで続けるんだ」っていう不安はあったし、オレも「もし芸能界を離れたときのために」って、大学に行っていたからね。 大沢 オレはグループ活動の途中で役者に志が向いちゃった。でも、大きな事務所に守られていたから、仕事が決まると名優を差し置いて主演になっちゃう。それが自分のなかでは許せなかった。 赤坂 みんなも感じていたかもね。オレもミュージカルによく″事務所枠″で出させてもらい、ファンは観に来てくれた。けど、いざ舞台に立つとアンサンブルさん(劇中のコーラスやダンス、群衆役などを担う、主要キャストではない俳優たち)よりも、歌や踊りが下手でショックを受けた。それで自分でボイトレに通ったり、周りに追いつこうと必死だったよ。 赤坂は2度の覚醒剤事件で芸能活動を休業するなど苦しい時期もあった。その後、拠点を宮古島に移し、今年で11年目を数える。 大沢 オレはお昼の臨時ニュースで見たのかな、「元光GENJIの赤坂晃逮捕」って。そのときは寒気がしたし、マジか!って、ただただ驚いた。 赤坂 本当に「ごめんなさい」としか言いようがない。ウチの母親は、未だに「ティロリロリン、ティロリロリン」っていうニュース速報の音がトラウマになっているからね。 大沢 でも、もう罪を償ったし、過去の話。いまはしっかりやっているし、もうノープロブレムでいいじゃないですか。 赤坂 今後やりたいのはやっぱり芝居。ミッキーは監督として映画も撮ったし、舞台でも共演できたらいい。 大沢 ライブに関しては、お互いそれぞれの世界観があるから簡単に「じゃあ、やろう」ってわけにはいかない。 赤坂 たまにゲストで、飛び入りで1〜2曲歌うとかはあってもいいけどね。オレらは芝居をやる者同士だし、演者としていろんなことができると思う。 大沢 この歳になって、晃と一緒に何かできていることは本当にうれしい。まずはラジオを続けつつ、そこから何かが生まれたらそんな最高なことはないんじゃないかな。 『FRIDAY』2025年7月18日・25日合併号より 取材・文:栗原正夫

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