「去年の段階で1万日を超えてるんですね。私たちが毎晩就寝前に仏壇を閉じるときの心境が皆さん方想像できるでしょうか。この途方もない数字の重さを改めて私たち遺族は感じてます」 1996年に東京・葛飾区柴又で上智大生だった小林順子さん(当時21)が自宅で殺害され、放火された未解決事件。発生から29年となった9月9日、順子さんの父親・賢二さん(79)は猛暑の中、汗びっしょりになりながらも集まった報道陣にとつとつと語った。 この日は自宅跡地で献花式が行われ、賢二さんら遺族や亀有署員、地元住民らが現場に花を手向けるとともに、事件後に順子さんの冥福を祈るために設置された「順子地蔵」の前で手を合わせた。式の後、夕方から賢二さんはボランティア団体のメンバーらと柴又駅前で情報提供を呼び掛けるチラシを配っていた。 1996年9月9日の午後4時半ごろ、小林さん宅で火災が発生。約2時間後に消し止められた焼け跡から首を複数箇所刺された順子さんの遺体が発見された。順子さんは口と両手を粘着テープで巻かれ、両足はストッキングで縛られており、遺体には布団がかけられていたという。順子さんは2日後にアメリカ・シアトルへの留学を控えていた。 「警察は当初、怨恨による犯行とみていました。遺体の首を執拗に狙って刺していることや、遺体に布団がかけられていたことなどから犯人が顔見知りだった可能性も指摘されました。また、事件の10日前には順子さんが見知らぬ男に後をつけられていたり、身の危険を感じているような発言をしていたことも明らかになりました。 警察は順子さんや家族の身辺を捜査しましたが、これといったトラブルはありませんでした。また、物盗りによる突発的な犯行だったにしても、なくなったのは引き出しに入っていた1万円だけで、順子さんが留学のために準備していた十数万円の現金や通帳は手付かずの状態だったのです」(全国紙社会部記者) 警察には複数の不審者の目撃情報が寄せられた。その中でも事件直前の午後3時55分ごろに小林さん宅の前に立っていた「黄土色のコートを着た中年男性」の似顔絵を警察は’04年に公開しているが、犯人逮捕にはつながっていない。これまでの間、賢二さんと妻の幸子さんは情報提供を呼び掛けるなどの積極的な活動を続けてきた。他の殺人事件の遺族らとともに殺人事件の公訴時効撤廃を訴えて’10年4月に実現させてもいる。そして捜査は現在も続いており、わかってきたこともある。 ◆カギを握るDNAと「黄土色のコートの男」 「’14年に順子さんの遺体にかけられていた布団についていた血を最新の技術で鑑定したところ、家族とは異なる男性のDNAが検出されました。このDNAは玄関に落ちていたマッチ箱についていた血のDNAとも一致しており、犯人が順子さんを刺した際に傷を負って付いたものとみられています。 また、’21年には不審人物の新たな目撃証言も出てきました。『黄土色のコートを着た中年男性』が小林さん宅で目撃される25分ほど前に、約15m離れた交差点で似た人物が立っていたというのです。警察では同一人物とみています」(同前) 朝日新聞の調べによると、1995年以降に起きた未解決の殺人・強盗殺人事件は少なくとも369件。そしてその7割が’04年以前に起きたものだという。 「この10年は防犯カメラの増加やDNA技術の発達によって未解決事件は激減。警視庁では’13年以降、大阪府警でも’15年以降はゼロです。とくにDNA鑑定の精度は導入した当初から飛躍的に上がっており、長年未解決だった事件の解決につながったケースもあります。しかし、時間の経過とともに関係者が亡くなったりして証言が取れなくなり、捜査が困難になることに変わりはありません。時効が廃止されたとはいえ、時間が経つにつれ、捜査体制が縮小されることも少なくありません。 警察庁は時効が廃止された翌年に、未解決のままでもある時点で捜査の継続を検討したうえで、それまでの捜査結果を検察官に送って区切りをつけてもよいという通達を出しています。検討する条件は指名手配の場合は容疑者が100歳になったとき、そして事件発生から30年が経過したときです。ただし、遺族感情を考慮して捜査を継続する場合もあるともしています。来年で30年を迎える柴又の事件は、遺族の精力的な活動が考慮されるのではないかと思われますが……」(事件ライター) 賢二さんは献花式の場で、最も恐れているのは事件の風化だとも話した。そして「決してあきらめていない、という遺族の思いを犯人の耳に届くように発信し続ける」と、決意をにじませたのだった。 犯人が逮捕されるその日まで、何があろうと事件は終わらないのだ。