田中角栄ら19人輩出の“大臣常連県”新潟 なぜ13年連続『大臣ゼロ』に? 「政治とカネ」と栄光の終焉

高市内閣でも入閣はなく、13年連続・全国最長の大臣ゼロ県・新潟。 かつては田中角栄氏をはじめ、多くの大臣を輩出した常連県でした。新潟の大臣100年史です。 田中角栄元総理 「日本の代表である総理大臣であることはもちろんである。しかし、新潟県の選出代議士であることは間違いない」 新潟を代表する政治家と言えば総理大臣まで昇りつめた田中角栄氏。 「日本列島改造という案は、これは私が公にした本の名前でしかない。太平洋側には人が集まりすぎている。東京から新潟まで新幹線ができれば1時間半かからないでしょう」 『日本列島改造論』を訴え、インフラ整備をはじめとする多大な恩恵を新潟にもたらしましたが… 当時のニュース映像より 「田中角栄を外国為替および外国貿易管理法違反により逮捕しました」 戦後最大の汚職事件と言われるロッキード事件は、今も続く「政治とカネ」の象徴でもありました。 そんな角栄氏の初入閣は昭和32年(1957年)、39歳の時。ここから、大臣常連県・新潟の昭和史が始まるのでした。 田中角栄氏の初入閣は昭和32年、岸信介改造内閣のときに39歳の若さで郵政大臣の座に就きました。 角栄氏をはじめ、県選出議員は昭和25年(1950年)から63年間で19人、のべ34回入閣しています。角栄氏が初めて総理になった昭和47年(1972年)の組閣では、村上市出身で旧新潟2区選出の稲葉修氏が文部大臣に。 「政界のご意見番」として名を馳せ、角栄氏失脚後の三木内閣では法務大臣に就任しました。 そして… 当時のニュース映像より 「昭和51年、田中元総理を巻き込んだ一大スキャンダル『ロッキード事件』で、稲葉さんは一躍全国の注目を浴びることになったのです」 稲葉大臣は、警察による角栄氏への逮捕状請求に「政治関与はしない」と毅然とした態度を示しました。 稲葉修氏 ―同郷だとか… 「長い間友達だもん、それは寂しいさ。気の毒だとも思うさ。しかしそれはね、私情であって、あそこまでね、証拠が上がってくればね、ふたするわけにはいかない、誰がやったってそうだよ」

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