8日に83歳で死去した後藤組(静岡県富士宮市、解散)の後藤忠政(本名・忠正)元組長は、指定暴力団山口組系の「武闘派」「経済やくざ」として知られ、除籍後は自叙伝が話題になった。17日に富士宮市内で葬儀が予定されており、警察当局は暴力団関係者の参列を警戒するとみられる。 ■伊丹監督襲撃で配下組員逮捕 自叙伝によると、後藤元組長は昭和17年、東京都荏原区(現・品川区)生まれ。戦争の激化で、2歳のときに父の郷里、富士宮市に疎開し、その後も住んだ。暴力団員となり、44年に後藤組を設立した。 59年に山口組の「直参」と呼ばれる直系組長に就任。一和会との「山一抗争」で頭角を現し、東京進出の先駆けとなった。平成4年には民事介入暴力を描いた伊丹十三監督の映画「ミンボーの女」に反発し、伊丹監督を襲撃したとして配下の組員が逮捕された。フロント企業などを使って資金を集め、11年には日本航空の株式約100万株が自身の名義になったこともある。 13(2001)年、肝臓移植のため渡米した。犯罪歴のため入国を禁止されていたが、米連邦捜査局(FBI)に山口組の情報を提供して便宜を図ってもらったと、米メディアが報じた。手術したカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)付属病院に10万ドル(当時のレートで約1200万円)を寄付したとされる。 ■誕生パーティーに芸能人参加 18年には、東京都渋谷区のビルをめぐる不正登記事件で電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で逮捕され、後に懲役2年執行猶予4年の判決が確定した。この事件に関連し、ビル管理会社顧問を刺殺したとして後藤組組員が逮捕されている。 20年に山口組を除籍され、後藤組を解散した。警察関係者によると、芸能人を招いた誕生パーティーが週刊誌に報じられたほか、幹部会の欠席を繰り返したことなどが原因とされている。パーティーに参加したと報じられた芸能人がNHKに出演できなくなるなど、芸能界にも影響が出た。 その後、神奈川県内の寺で得度し「忠叡」の法名を授かったほか、自叙伝「憚(はばか)りながら」で暴力団と各界の関係を暴露して話題になった。