イスラエルにどう向き合うべきか?…日本外交に今こそ問われる覚悟

3月下旬、イスラエル軍による攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで、パレスチナ人の救急隊員ら15人がイスラエル軍に一斉射撃を受けて殺害された。 イスラエルとハマスの戦争では、これまで多数の人道支援関係者が犠牲になっているが、今回は明らかに人道支援関係者と認識できた状況での狙撃だった。さらに遺体を地中に埋め、事実とは異なる説明をして組織的に隠蔽しようとした可能性も高く、これまでにないほど悪質だ。 映像とニューヨーク・タイムズによる調査報道がなければ、闇に葬られた可能性もあり、謝罪したところで許されない悲惨な出来事であった(編集部注:4月20日、パレスチナ自治区ガザで救急医療隊員ら15人が銃撃されて死亡した事件に関して、イスラエル軍は「いくつかの職務上の失敗」を正式に認めた)。 それから間もない4月上旬、そのイスラエル軍の責任者でもあるネタニヤフ首相はハンガリーを訪問。ハンガリーは国際刑事裁判所(ICC)加盟国であるにもかかわらず、戦争犯罪の疑いで逮捕状が出されているネタニヤフ首相を歓待しただけでなく、ICC脱退を表明したことでも話題となった。 ドイツのベアボック外相は「国際法にとって最悪の日だ。ヨーロッパにおいては何ぴとたりとも法の上に立つ者はいない」とハンガリーの対応を非難したが、ショルツ首相は「ネタニヤフ首相がドイツで逮捕されるとは思わない」と述べたり、メルツ次期首相に至っては、ネタニヤフのベルリン訪問への意欲を見せたりするなど、チグハグな姿勢を見せている。 もしイスラエルの首相がICC加盟国でも逮捕を免れるのであれば、ロシアのプーチン大統領も大手を振ってヨーロッパを旅することができる。ウクライナを軍事侵攻したロシアを非難するために、グローバルサウス諸国に「法による秩序」を訴えてきたのは、ほかならぬヨーロッパ諸国であるにもかかわらずだ。 イスラエル軍は自らを「最も道徳的な軍隊である」と主張するように、市民と戦闘員を区別したことがあるのは事実だ。しかし、今次の戦争で、そうした区別に対する倫理的議論はもはや無意味であることは、イスラエルの軍事専門家も指摘するところだ。 「イスラエルは被害者である」「ガザには無辜(むこ)の市民などいない」といったナラティブが社会に広がるなか、ハマスへの強い報復感情が高まり、それに呼応する形で右派の強硬な主張が政治だけでなく社会にも浸透。軍の規範に違反するような行動が度々報告されるなど、自制が利かなくなっていることは極めて深刻だ。 政治的に「反ユダヤ主義」の烙印を押されることを回避するために、イスラエルを批判することに二の足を踏むヨーロッパ諸国がこの状況を助長している。 日本は近年、イスラエルのテクノロジー技術に可能性を見据え、経済を中心にイスラエルとの関係を強化してきた。 しかし、人道支援関係者を幾度となく殺害し、国のトップがICCに逮捕状を発行されるような国と、盲信的に関係強化することが本当に国益にかなうのだろうか。 先日、イスラエルに駐在する日本の新居雄介大使はネタニヤフ首相が汚職事件の被告人として出廷した、まさにその法廷でネタニヤフ本人と面会した。被告人として出廷した法廷に日本の代表者である大使が出向くことが日本の国益になるとはとうてい思えない。 日本は、ユダヤ人やイスラエル建国に関して複雑な歴史を持つ欧米諸国とは立場が全く異なる。 日本はICCの最大の拠出国でもあるからこそ、法の支配の原理原則にのっとり、批判すべきところは批判するという姿勢を貫く必要がある。こうした国際的なルールを遵守する姿勢を率先して見せていくことが、国際社会における日本の信用獲得にもつながるはずだ。

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