3月24日浜松市中央区舘山寺町で、軽トラックが小学生の自転車の列に突っ込み石川琴陽(8)さんが亡くなり、10歳の姉ら3人が重軽傷を負った事故で、当時軽トラックを運転し事故を起こした男性(78)が5日朝、報道陣の取材に応じました。 男性は、過失運転傷害の疑いで逮捕されましたが、現在は処分保留で釈放され任意で捜査が続いています。 4日夜、初めて遺族の自宅に謝罪に訪れた男性。謝罪をうけた遺族は「謝罪の言葉はあったが、反省の気持ちや誠意は見えなかった」と話しています。 以下、男性のインタビュー全文です。 <事故を起こした男性(78)> 「この度は大変なことをしてしまい、大変申し訳なく思っております。今後、いかなることでも自分のことと深く反省しながら一生をかけて償っていきたいと思います。亡くなられた琴陽さんには本当に申し訳なく思います。お姉さまにもケガをさせてしまい、ご家族の方、ご親族の方にも心配をかけて申し訳ございませんでした。できることはなかなかすぐには頭に浮かびませんが、ひとつひとつを思いおこしながら償っていきたいと思います。申し訳ございませんでした」 Q.遺族には5月4日に謝罪にいったと聞いたが、どうしてこのタイミングに? 「5月4日のタイミングになったのは2週間勾留されていて、4月14日に釈放され、いは報道とかいろいろされているので、気を付けて行動するようにということで。1週間は親戚の家に泊まって、その後、自宅に帰ってきて(農業用)ハウスと自宅の往復をたまにするくらいで、あとは(外に)出ませんでした。そのような時間を過ごしながら、3週間たったような.具合です」 Q.遺族にはどのような言葉で伝えたのか? 「とにかく謝るしかない、今はいろいろ考えていてもなかなかそれを受け入れてもらえる状態ではなかったので、一生かけて、何とかお願いをして償っていくしかないと考えています」 Q.謝罪に対して遺族の反応はどのように感じたか? 「言葉のひとつひとつが理解できない、納得できないというお叱りの言葉を何度かいただきました。ご遺族の立場を考えれば、その通りと深く思い、一つ一つかみしめてきた次第です。何ができるかはこれから一生をかけて償っていくつもりです。免許証も取り上げか、返納するつもりで車はもう一切運転しません」 Q.事故の際、気を失っていたと説明していると聞いたが? 「覚えている限りはカーブを曲がって、現場に向かう少し手前、今思い起こせば事故現場の2,30メートル手前から、前を走っていた小学生の自転車は全然思い出せません。衝突する2、3秒前から気を失ったと思います。衝突して5メートルくらい引っ張りながら、石塀にぶつかりながらなお少し走ったのではないかと思います、トラックの下に自転車を巻き込みながら。そして止まったところで目を覚ましました。その時には胸を片手でおさえ、もう片手でハンドルを持った状態で目を覚ましたと思います。すぐに降りてトラックの下に(人が)いることがわかったものですから、近くにいた3.4人と一緒に上げて助けようとしたけど、最初の3,4人では上がらなくて、近くにいた大人の人を含めて5,6人で上げたような記憶を少し覚えています。救出してから救急車でいったんではないかと思います」 Q.事故を起こして思った気持ちは? 「大変なことをしてしまったと頭にに思い浮かびましたが、小学生が前を走っている記憶がないものですから、どこから記憶を失ったか、たぶん20,30メートル前、20,30キロで走っていて、事故現場の10、20メートル前だったと思います」 Q.数週間前にも物損事故を起こしていると聞いた。運転をやめようとは? 「本来考えればそれが当たり前、常識なことかもしれませんが、3月7日か8日に起こした事故は、畑の柵にある1mくらいの木の根っこにあたったように記憶しています。交差点で止まりかけて、目がくらみ何かおかしいと思ったら、かすりまして、落ちたら車にスジが付き、へこんでいた。その程度だったため修理屋に行き、すぐ直してもらい良しとしてしまいました。自分の中で隠してしまいました。それが今回の事故の3週間前の出来事です」 Q.その事故は家族にも伝えたなかった? 「伝えませんでした」 Q.これまで事故は何回か? 「3年前に交差点で左折する車が止まったことに気づかずに、相手の右後ろに接触した事故を起こしたのは事実です。今回の事故の動悸とめまいとは関係ありません。私の前方不注意だったと思います」 Q.これまでの事故は家族には伝えたのか? 「3年前の事故と3月初めの事故は家族に言っていませんでした。自分の考えだが、黙ってしまい、知られて乗れなくなると仕事など差し支えると思い、ついつい事故の度合いからして黙ってしまいました」 Q.高齢者ドライバー事故が社会問題化している。不安にならかったか? 「それは多少ありました。事故の度合いで都合の良いように判断してしまったのが現実です」 Q.今振り返ってみて、どうすればよかったと思いますか? 「医者は毎年、人間ドックを受けているもんですから、1年間に1回、全体のドックは受けています。通院は1か月に1度くらい、同じお医者さんに通い、朝・昼・晩に薬もいくつかの病気の薬を飲んでいます。その中で見つかればいいと過ごしていました。たらればになりますけど、せめて3月の事故の時に、もうちょっと慎重に行うべきだったとつくづく思います。本当に亡くなられた琴陽さんには申し訳なく思っています。どんな言葉でいっても返す言葉はありませんが、今後一生をかけて、運転はできなくてもやれることをよく考えて償っていきたいと思います」 Q.これまで事故現場で手を合わせた? 「4月14日までは自由が効かなかったものですから、考えていても行動に移すことができなかった。釈放されてから少しずつどうするればいいか、お通夜など石川家の訪問をすることがなかったが、頭の中では一部思っていましたので、これから家族と相談してやれることを一生つづけたいと思います。きょうからまず現場にいって毎日手を合わせることにしようと、きょうが始まりです」 Q.今回の報道陣の取材に答えると決めたのは? 「正直今までなるべく避けていました。公の場に出て、自分のしたことをかみしめて、皆さんに知ってもらい、その上で一生をかけて償うことの方が大事だと。どう報道されても、してしまったことは取り返しがつかないので、なんとか自分たちの誠心誠意の態度や気持ちが一部でもわかってもらえるように、これから償いをしていくつもりです。本当に申し訳ございませんでした」 Q.損害賠償などどのような償いを考えている? 「石川さんからも『償いとか弁償とか、一切考えていない。それよりも正直、琴陽を返してほしい』ときついお言葉をいただきましたので、真摯に受け止めて、賠償の形を生きている限り出来ることを考えてやっていきたいと、今はそう思っていまし。本当に申し訳ありませんでした」 Q.事故から1か月以上たってのタイミングでの謝罪。遅くなったとか感じているか? 「自分たちは流れの中でなんとかやっているかなという気も少しはありますけど、遺族の方からすれば、1か月も経って顔を見せないのかというお叱りの言葉もいただきましたので、ごもっともだなと。今後はそれをなくすというよりも、補うようなことをなんとかやっていきたいと今はそういう気持ちでいっぱいです」 Q.琴陽さんにお言葉をかけるとしたら? 「大切な命を私の不注意でなくしてしまい、言葉には表せない申し訳ない気持ちでいっぱいです。なんとか今後一生をかけて償っていければ、今はそう感じています」