小学4年の息子はひき逃げに遭い、10歳で命を落とした…「殺人と同じ」時効撤廃を訴える母親の16年 高市首相にも手紙と嘆願書

2009年 9月 30日 、埼玉県熊谷市で小学 4年生だった小関孝徳君(当時10)が自転車で帰宅途中にひき逃げされ死亡した事故から16年。逃走した車はいまだわかっていない。シングルマザーとして孝徳君を育ててきた母は、死亡ひき逃げ事件の時効撤廃を訴え続けている。 * * * 遺影の笑顔は、どこかはにかんで見える。 「気を使う子で、わがままを言うことはほとんどありませんでした」 埼玉県熊谷市の小関代里子(こせき・よりこ)さんは振り返る。16年前、小学4年生だった息子の孝徳(たかのり)君(当時10)を、ひき逃げ事故で亡くした。犯人はいまだに捕まっておらず、未解決のままだ。 事故は、2009年9月30日の午後6時50分ごろ、熊谷市本石(ほんごく)1丁目の市道で起きた。片側1車線の生活道路。孝徳君は、書道教室から自転車で帰宅する途中、後方から来た車にはねられ、路上に倒れていたところを、さらに2台目の車に頭部をひかれたとみられている。即死だった。 代里子さんは、当日のことはあまり記憶がない。ただ、警察官が「絶対に犯人を捕まえます」と声を掛けてくれたことだけは覚えている。 しかし、捜査は難航した。現場に2台の車の破片やブレーキ痕などは残っておらず、初動捜査が手薄で、事故直後に降った雨がわずかな痕跡まで流し去った。 ■夫を亡くし、シングルマザーとして子育て 代里子さんの夫は、孝徳君が4歳の時に病気で亡くなった。女手ひとつで家計を支える母の姿を見て育ったからか、孝徳君は「寂しい」と言ったり、甘えてきたりすることはほとんどなかったという。 サッカーが大好きで、3年生から地元のサッカーチームに入って活躍した。将来の夢の一つが「お母さんのために大工になって大きな家を建てる」。そう言ってくれた、優しい子だった。二人きりの家族。生活は決して楽ではなかったが、いつも幸せがあった。そんな日が続くと信じていた。 だが、その日常を、事故がすべて奪った。

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