上司を頼らず自力で切り拓く 船舶リースで定着へ オリックス・井上亮会長

日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2025年12月8日号より。 * * * 1982年1月、香港駐在からギリシャへ異動し、港町ピレウスに新設された事務所で勤務した。ギリシャ人の女性秘書と運転手と3人だけ。ピレウスは首都アテネの中心部から南西へ10キロ余り、エーゲ海を巡る航海の拠点だ。 オリエント・リース(現・オリックス)へ入社以来、船舶リースを担当して7年目。世界海運不況の影響が長引いて、リースした貨物船やタンカーに支払いの滞りが続く。船の差し押さえ訴訟など、厳しい仕事が待っていた。 なかでも、シリア系石油運搬会社へリースした8万トンの中古タンカーでは、スパイ映画のような場面が繰り広げられる。始まりは85年で、社長が家族間のいざこざで会社を追い出され、親族に乗っ取られた。リース料の支払いが滞り、電話で催促したら「支払いはアラーの神の思し召し次第だ」と断られる。 何度かやり取りを経て「ではタンカーを差し押さえる」と告げると「こちらには、いっぱい暗殺者の友人がいる。いつでも送ってやるぞ」と脅された。屈せずに「送るなら送ってみろ」と言って電話を切る。すぐにアテネの自宅にいた妻へ電話をして「東京へ帰れ」と言って、逃がす。 ■差し押さえと解除を際どく繰り返したリース用のタンカー 支払いには会社を追い出された前社長の個人保証を取っていたので、差し押さえに協力を約束させる。タンカーはインドネシア国営石油会社が使っていて、トラブルを管理する幹部船員を同国へ派遣。差し押さえ手続きをさせて、シンガポールへ向かわせた。タンカーは日本の商社へ売却する契約を結び、台湾で引き渡す期限が近づいていた。 するとインドネシアの拠点からアテネの午前3時に電話があり、「外事警察が逮捕状を取ってお前を探している」と言ってきた。現地に残っていた幹部船員へ電話で「すぐにタクシーで空港へいき、一番早く出る飛行機に乗れ」と指示して、また逃がす。 ところが、タンカーがシンガポールに着くと、現社長が差し押さえにきた。相談に乗ってもらっていたロンドンの弁護士へ電話をすると「もうどうしようもない、諦めてくれ」と言われる。そんななか、東京の本社の上司に電話をしても電話口に出ないし、「これはお前がやったことだから知らない」との連絡だけ。上司は、やはり「手柄は自分、失敗は部下に」というものだ、と頷く。 「これで終わりか」と思っていたら、翌朝にロンドンの弁護士から電話があって「船が解放された」という。前社長がシンガポールの弁護士に費用を払っていなかったので、弁護士が怒って差し押さえを解除したのだ。 こんな幸運はない。タンカーを台湾へいかせて「これで売却して債権が回収できる」とホッとすると、また電話で「今度は船員に運航を停止された」と言ってきた。船員報酬の未払いが45万ドルくらいあるのが理由だ。東京の船舶管理の子会社ペルサス・シッピングへ電話して、少額のドル紙幣を集めさせ、台湾へ運ばせて船員たちに払い、タンカーの売却に間に合わせた。

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