「検察はタオルを投げろ!」。元プロボクサーの死刑囚・袴田巖の冤罪事件「袴田事件」の攻防の中、ボクシング界を引っ張って支援を続けた一人の男がいた。当時、獄中にいた袴田とも奇跡的に面会を果たした。元東洋太平洋王者はなぜ、支援活動に突き動かされたのか。 * * * ジリジリとした強い西日が、静岡地裁の白い建物に照り付けていた。午後4時過ぎ、遂にその瞬間が訪れる。 「袴田巖さんに無罪判決! 証拠ねつ造を認める」 2024年9月26日。死刑囚で元ボクサーの袴田巖に再審無罪が言い渡された。強盗殺人などの容疑で逮捕され58年。「開かずの扉」とも言われるやり直しの裁判を経て、死刑囚の無罪が認められたのは、35年ぶり戦後5例目のことだった。 「ボクシング協会のみんなで『ウオー!!』って、雄叫びを上げてましたね」 駆けつけた新田渉世(にったしょうせい・58)の目にも、真っ白な旗に書かれた「無罪」の文字が焼き付けられた。ボクシング界挙げての支援が、ようやく結実した瞬間だった。 新田を初めて取材したのは、支援活動を始めた06年。当時「袴田事件」は、弁護団が裁判のやり直し(再審請求)を求めるもことごとく棄却。世間からも忘れられた存在だった。そんな中、新田は、向こう見ずにも支援運動に飛び込んだのだ。 当時、袴田は獄中にいた。死刑囚の面会は厳しく制限され、家族と弁護士以外は限られた人しか面会を許されない。しかしそんなことには構わず、新田は繰り返し東京拘置所に足を運んだ。 すると翌07年、100年ぶりの法改正により面会制限が緩和された。この時、袴田との面会を新たに認められた唯一の支援者が、新田だった。 「ある時、『新田さんだけ面会できます』って言われて。面会室の奥の方から袴田さんが出てきたんです。初めてだし、心の準備もなかったし……」 ■なぜ人は生きるのか?魂の燃焼が人生の目標に ボクシング関係者としては27年ぶりの獄中面会だった。長い拘禁生活の影響で意思疎通が難しい袴田だが、ボクシングの会話だけは噛み合った。 ところがまもなく、最高裁が袴田の再審請求を棄却し、第一次再審が終結する。ある支援集会で、新田は聴衆に向かってこう呼びかけた。 「ボクシングでも、ダウンしたり試合に負けたりします。でも何度でも立ち上がり、何回負けても諦めない。その負けに絶対負けない。『負けに負けるな』の言葉を胸に闘っていきたいと思います!」