美容整形手術を受け、スポーツカー・メーカーの工場を北アイルランドへ竣工させ、コカインの密輸疑惑で逮捕されるより遥か以前、ジョン・デロリアン氏は、ゼネラル・モーターズ(GM)にいた。ポンティアック部門の、主任技術者として。 彼の才能は確かなものといえ、同時に若者文化へ敏感だった。ホットロッド・カスタムやドラッグレースの人気を目の当たりにし、安価な高性能モデルを提供すれば、GMへヒットを導けると考えた。 1962年に、ポンティアックは2ドアのカタリナ・スーパーデューティ421を少量生産。スーパーストック・クラスのドラッグレースを想定し、軽量なアルミニウム製フェンダーやボンネット、穴開き加工されたフレームなどが与えられていたが、高価だった。 デロリアンが目をつけたのは、北米では中型の扱いだった、ポンティアック・テンペスト・ルマンというクーペ。326cu.in(5342cc)のV型8気筒エンジンを、フルサイズ用の389cu.in(6374cc)へ置き換えるというアイデアが実行された。 その頃のポンティアックのV8ユニットは、排気量に関わらず、エンジンブロックの外寸が同じだった。変更を加えず、テンペストのエンジンルームへ収めることができた。