内閣府の世論調査によれば、日本国民の8割以上が死刑制度を容認している。凶悪事件が起こると、ネット上では「早く死刑にしろ」などと攻撃的な声が飛び交うことも少なくない。しかし、万一えん罪だった場合、死刑制度は無実の人を処刑するという深刻なリスクをはらんでいる。連載企画「死刑囚の弁護士たち~なぜ“殺人犯”を守るのか~」第7回は、1961年の名張毒ブドウ酒事件の再審請求を担う小林修弁護士(73)に話を聞く。事件から65年が経ち、依頼人がこの世を去ってもなお、えん罪を訴え、再審の扉をたたき続ける理由とは。 * * * 勝さんのことは本当の父親のように思っていました。それなのに、「死刑囚」のまま死なせてしまった。その悔しさが晴れることはありません。 ≪1961年3月28日夜。愛知県名張市葛尾(くずお)地区の住民懇親会が開かれていた公民館は突如、阿鼻叫喚の地獄と化した。女性用に用意されていたブドウ酒を飲んだ17人が口から泡を吹くなどの急性中毒症状を起こし、5人が死亡。捜査の結果、ブドウ酒から農薬が検出された。警察は、この事件で妻と愛人を亡くした奥西勝元死刑囚(当時35)が農薬を混入させたとみて、殺人容疑などで逮捕した。奥西元死刑囚は、「妻と愛人との三角関係を解消するためだった」といったんは容疑を認めたが、起訴直前から否認に転じた。一審は自白には疑問が残るとして無罪判決が下されたが、二審は逆転死刑判決、72年の上告棄却をもって死刑が確定した。奥西元死刑囚は無実を訴え、独力で4度の再審請求を行ったが、すべて棄却された≫ 孤独の死刑囚……勝さんは、マスコミからそう呼ばれていました。支援者はおらず、金銭的な事情からか弁護士もつけずにひとりぼっちで闘っていた。そんななか、えん罪の疑いと再審の見込みがあると踏んだ日弁連(日本弁護士連合会)が支援に入り、77年に第5次再審請求を申し立てました。 当時の弁護団メンバーは、30過ぎの私より20歳くらい上の大先輩5人。先輩方が目をつけたのは、逆転死刑判決の根拠の一つとなった、ブドウ酒瓶の王冠に残っていた「傷」でした。