1989年の1月5日、東京都足立区綾瀬で4人の少年が女子高生を監禁し、暴行の果てに嬲(なぶ)り殺した。俗に「女子高生コンクリ詰め殺人事件」と言われるこの事件は、公判時、検察が「わが国犯罪史上においてもまれに見る重大かつ凶悪な犯罪」と表現するなど、戦後最も残虐な少年犯罪のひとつと言われる。その非道さゆえに、発生から35年経った今でも人々の記憶から忘れ去られることはない。また、この1月には、北海道放送(HBC)が4名の加害者のうち、準主犯格だった男性が3年前、51歳で孤独死していたことを報じ、大きな話題となったばかりである。 この男性をBとする。Bはコンクリ詰め事件で殺人罪などにより起訴され、実刑判決(懲役5~10年の不定期刑)を受けた。HBCの報道などによれば、1999年に出所した後は定職につき、結婚したものの、程なく離婚、仕事先でのトラブルで退職して以降は生活が狂い始める。2004年には知人男性に対する逮捕監禁致傷容疑で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けた。2009年に再度出所した後は仕事もせず、生活保護に頼り、部屋に引き籠る毎日。そして2022年7月、母が弁当を持って部屋を訪れると、トイレの中で倒れた状態で発見された。精神安定剤を飲み、ふらついてトイレの中で倒れ、便器とタンクの間に頭が挟まり動けなくなり、嘔吐して息を引き取ったという。 コンクリ詰め事件の公判の際、Bは「被害者の女性がどれだけ熱かったか、どれだけ痛かったか。一生謝っても謝り切れない。僕の一生をかけても償っていきたい」と述べたが、その言葉とは程遠い一生を送ったことがわかる。 「週刊新潮」では、2004年の逮捕時、被害者に取材するなどして、Bが再犯に至るまでの経緯を詳報している。以下、それを再録し、Bの凶悪さと、彼を更生することの出来なかった“少年法の敗北”について考えてみよう。 (「週刊新潮」2004年7月15日号記事の一部を加筆、修正しました)【前後編の前編】 【前編】では、コンクリ詰め事件の際のBの“所業”について詳報する。 ***