12・3戒厳宣言の夜、尹前国家情報院第1次長「10時53分の電話」の真実(1)

12・3戒厳当時、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が当時のホン・ジャンウォン国家情報院第1次長と電話をした内容がまた尹大統領弾劾審判の核心の争点に浮上した。ホン前次長は4日、憲法裁弾劾審判5次弁論の証人として出席し、当時の主要人物逮捕指示疑惑に関連して尹大統領から「この機会にみんな捕まえろ。防諜司令部を支援しろ」という指示を受けたと明らかにした。ホン前次長は尹大統領の面前で12・3戒厳当日の午後10時53分ごろ「(大統領が)対象者の目的語を規定せず、誰かを捕まえなければいけないという考えだったが、誰を捕まえるのか伝達されなかった」とし、このように話した。これに対し尹大統領はホン前次長の証人尋問が終わると、発言機会を得て「激励レベルの電話にすぎず、戒厳とは関係がない話」と全面的に否認した。 ホン前次長が先に火ぶたを切った。尹大統領の指示後の午後11時6分ごろ「呂寅兄(ヨ・インヒョン)防諜司令官が電話で位置追跡要請名簿を言ったのでメモをし、全員を書くことはできなかったが、14-16人ほどだった記憶している」と説明した。そして「名簿を半分ほど書いたが、これは何かと思いながら、何か間違っているのではと感じた」とも明らかにした。ホン前次長は戒厳解除の翌日、金泰孝(キム・テヒョ)国家安保室第1次長にテレグラムのメッセージで「大統領は涙を流して国民にひざまずかなければいけない」としながら謝罪を提案したとも伝えた。 ◆尹大統領「国家情報院を激励する意味の電話だった」 すると尹大統領は「国家情報院は捜査権がなく位置の追跡ができない。趙太庸(チョ・テヨン)国家情報院長が米国出張に行くという報告を受け「院長の留守中なのでうまく管理してほしいという激励レベルで電話を一度しなければいけないと考えていた」とし「防諜司を助けてほしいという話も趙院長にいつもする話」と反論した。また「仮に戒厳と関連して指示することがあれば機関長の院長に直接するはずで、次長にはしない」とし、繰り返し逮捕指示疑惑を否認した。続いて「弾劾から内乱などすべてのプロセスが『ある政治的問題』に関する趙院長の建議でホン次長を解任した翌日の12月6日、ホン次長のメモが朴善源(パク・ソンウォン)共に民主党議員に移りながら論争になった」とし、政治的疑惑まで提起した。 これに対しホン次長も弁論終結後に改めて記者らに対し「非常戒厳関連の国務会議が進行中であり、首都防衛司令部、特殊戦司令部が大騒ぎになっているのに第1次長に激励のための電話をするだろうか、その時間に」と反問した。 ◆「警察庁長に逮捕対象の位置把握を要請」 当日の電話の別の当事者である呂寅兄(ヨ・インヒョン)前防諜司令官もこの日、証人として出席し、「ホン次長とエレベーターで電話をしたが、正確な通話内容は思い出せない。『いま逮捕組が出ているが、所在が把握できないので助けてほしい』と言ったというが、防諜司の部隊が出動したのが翌日1時であり、情況上、常識的におかしい」と話した。 ただ、呂前司令官はこの日、趙志浩(チョ・ジホ)警察庁長に合同捜査団人員支援と逮捕対象の位置把握を要請したことは認めた。国会側の代理人が「政治家15人ほどを逮捕するのに警察に位置を確認してほしいと要請したことがあるか」と尋ねると「2つの協力要請したことがある。まず、合同捜査本部を構成しなければならないため人員を送ってほしいということと(政治家)特定名簿に対して位置を知る方法がないから位置把握を要請した」と答えながらだ。名簿の内容に関しては「私が記憶するものと趙志浩庁長が記憶するものは異なるので、刑事裁判で確かめなければいけないようだ」と答弁を避けた。

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