◆尹大統領「私が選管委への軍投入を指示」 尹大統領はこの日、京畿道果川(クァチョン)中央選挙管理委員会への軍兵力投入については「私が金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官に指示した」と認めた。「選挙訴訟ででたらめな投票紙が多く出て、国家情報院の点検結果でも電算システムに多くの問題があるというので『いかなる装備がどんなシステムでどう稼働するのかスクリーンしてみるべき』と指示した」と述べながらだ。尹大統領は「金前長官に11月29、30日ごろ崔載海(チェ・ジェヘ)監査院長弾劾発議の話が出ながら戒厳の話をした」とも伝えた。 ただ、自身の検察起訴状にある「選管委サーバー押収および職員逮捕」疑惑については積極的に否認した。尹大統領は「軍人らは長官の指示があれば『サーバーを押収するのかどうか』と考えるかもしれないが、実際、サーバー押収はハードウェアだけでなくソフトウェア、コンテンツも押収したものがないと報告を受けた」と話した。また「政治家を逮捕しろ、引っ張り出せなど実際に何も起こっていないのに指示をしたとか、受けたとか言いながら、あたかも湖上の月影を追いかける感じだ」とも語った。「立派な将軍の陳述に言葉を混ぜたくはないが、軍人数人が国会議事堂に進入して消火器を浴びて後退したのではないか」「実際に政治家の逮捕があったわけでもない」と国会戒厳解除妨害および逮捕指示疑惑も積極的に否認した。 軍事裁判所に起訴されて1審裁判中の呂前司令官と李鎮遇(イ・ジンウ)前首都防衛司令官は、内乱容疑の核心被疑事実について答弁を拒否したり否認したりした。呂前司令官は、「金竜顕前国防部長官から14人の逮捕対象名簿を受けたのか」という質問に「刑事裁判事項なので陳述できない」として答弁を拒否した。続いてノ・サンウォン元情報司令官の主導で合同捜査本部第2捜査団が創設されるという事実を知っていたかどうかについては「かなり以前から当然知る仲だったが、その事実は全く知らなかった」と答えた。 呂前司令官は「国軍統帥権者が下した非常戒厳という明示的で公開的な命令に従わない軍人は私が知る限りいない」と話した。呂前司令官はこの日午前、中央地域軍事法院で開かれた公判準備期日にも出席して「(尹)大統領と(金前)長官に戒厳に対して何度か反対を直言した」とし、国憲紊乱の意図はなかったと主張した。 尹大統領から本会議場の国会議員を引っ張り出せという指示を受けたという疑惑を受ける李鎮遇前司令官もこの日の証人尋問では「尹大統領と電話をしたのは事実であり、一部で衝撃的な言葉も思い出すが、答えにくい」とし「私の刑事裁判で明らかにする」と証言を拒否した。 その代わりに「大統領は国民の代表、国軍統帥権者であり、検察総長まで務めた法律の専門家だと考え、放送で話した内容が違法、違憲という考える余地はなかったし、適法だと考えた」として国憲紊乱の意図を否認した。 李前司令官は「戒厳宣言当日に公館で部隊師団長との夕食の約束まで終え、官舎で皿洗いしていたところ(金竜顕長官から)電話を受けた」とし「『何らかの状況があり得るため部隊に入って待機するべき』という指示を受けた」と説明した。続いて「戒厳宣言もテレビを見て知った」と話した。 ◆「大統領の指示に従うのは適法という考え」 李前司令官は「戒厳当時、大統領と3回通話をしたのは事実か」「大統領が電話で4人が1人を抱えて出てくるべき、銃を撃っても扉を壊して議員を引っ張り出せと指示したのか」などの事実関係の質問に「刑事裁判中なので答弁が制限される」「答弁しない」と述べた。 李前司令官は自身が戒厳軍として投入されることは知っていて、戒厳宣言直後の軍隊の動きが「『国会に直ちに出動するべき』とだけを聞いて、統合防衛マニュアルに基づいて動き、重要施設の防衛・警戒だけだった」とし、自身の携帯電話から出た『ハンマー、のこぎり携帯』などと書かれた「12・2対応計画」メモについても「「長官が非常状況で首都防衛司令部の役割と手続きを尋ね、整理して送ってほしいというので、説明のために統合防衛マニュアルを急いで打ってテレグラムで送った」と説明した。 李前司令官は「当時、車の中で携帯電話3個の電話を受け続け、窓からのみ外側状況を認知しながら作戦をしたので、今でも私がした話が何か分からない」とし「第三者が話したという内容のうち私の記憶にないことが多い。私の起訴状の内容は私の陳述内容だけがあるのでなく争う余地がある」と話した。