「弾圧のベルトコンベア」で抑圧するルカシェンコ それでも国民がベラルーシに住む理由

ロシアと欧州の狭間に位置するベラルーシ。人口900万人あまりの小国ながら、2020年に巻き起こった民主化運動が徹底弾圧されたことや、ロシアの同盟国としてそのウクライナ侵攻を幇助していることなどで、近年たびたび国際社会に波風を立てている。 そのベラルーシで、1月26日に大統領選挙の投票が行われた。当国では、1994年に大統領に就任したアレクサンドル・ルカシェンコ氏が、30年を超える長期政権を築いている。今回の大統領選でも、ルカシェンコが実に86.8%を得票したというのが、当局による公式発表であった。 これによりルカシェンコは堂々7選を達成。前回20年の選挙後には、不正選挙に憤り反ルカシェンコを掲げる大規模な国民的運動が発生したが、今回は表立った抗議の動きは見られない。 94年に最高権力者に上り詰めたあと、強権体質をあらわにしていったルカシェンコは、いつしか「欧州最後の独裁者」と呼ばれるようになった。欧米は、一頃までは対話の糸口を探っていたが、茶番としか言いようのない20年の大統領選を目の当たりにして、ルカシェンコをベラルーシの正式な大統領として認めていない。本稿でも20年以降に関しては「ルカシェンコ大統領」という表現は避けることにする。 今回の25年大統領選も、自由・公正なものではまったくなかった。当局が発表した86.8%という虚無な数字を吟味すること自体に、意味はない。ただし、20年から25年にかけて、ルカシェンコ氏が一定程度、国民の支持を回復したことも、否定できない現実と思われる。今回のレポートでは、ルカシェンコ体制による目に余る強権支配を批判的に検証しつつ、不可解にもそんな体制が求心力を回復していると思しき現象も直視してみたいと思う。

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