韓国でファッションデザイナーとして活躍した故アンドレ・キムの人生は、1999年の「服ロビー事件」を巡る国会聴聞会の前と後に分かれる。アンドレ・キムが参考人宣誓の際に「アンドレ・キムです」と言うと、法制司法委員会の委員長は「本名を言ってください」と返した。「金鳳男(キム・ボンナム)です」。フランスに留学したとして名を馳せたアンドレ・キムの故郷(旧把撥)と本名(金鳳男)が初めて明らかになった。場内では笑いが起こった。それでもアンドレ・キムは議員たちに「私のファッションショーにぜひ来てください」と言い残し、聴聞会場を後にした。しかし、家に帰ると家族に「みんなで移民しようか」とつらい気持ちを吐露したという。天安にある彼の墓碑には、英語で「アンドレ・キム」、そして漢字で「開寧金公鳳男之墓」と刻まれている。