3月2日(日本時間3月3日)に行われた映画の祭典・第97回アカデミー賞は、『ANORA アノーラ』(公開中)が作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の5冠に輝き、旋風を巻き起こした。6部門ノミネートで助演男優賞を除く5部門受賞という結果には正直、驚いた。だがそれ以上に驚いたのは、アカデミー賞作品賞とカンヌ国際映画祭の最高賞“パルム・ドール”のダブル制覇だ。こちらは前例が1955年の『マーティ』、2019年の『パラサイト 半地下の家族』の二度しかなく、『ANORA アノーラ』は3度目の偉業達成となった。 昨年5月に開催されたカンヌ国際映画祭で審査員長を務めたのは、俳優・映画監督のグレタ・ガーウィグ。「女性の自立」をテーマに映画を撮り続け、2023年の全米大ヒット作『バービー』も監督している。 『ANORA アノーラ』の主人公は、ニューヨークでストリップダンサーとして働く若い女性“アニー”ことアノーラ。彼女は、客として出会ったロシアの大富豪の御曹司イヴァンと勢いで結婚するものの、それを無効にしようと大富豪が送り込んできた男たちにたった一人で立ち向かうこととなる。中盤、逃げ出したイヴァンを探し、アニーが夜の街で男たちを連れまわす様子を、オフビートなユーモアと風刺を交えて描いたシーンは痛快だ。 どことなく、グレタ・ガーウィグが過去に手掛けた『バービー』や『フランシス・ハ』(12)などにも通じる要素がある。そう考えると、審査員長の意向が重視されるカンヌ国際映画祭において、『ANORA アノーラ』にパルム・ドールが贈られたことも納得できる。 それから約10カ月を経て開催されたのが、今回のアカデミー賞。その受賞作に特徴的なのは、女性の存在感が際立つ作品の多さだ。最多ノミネートとなった『エミリア・ペレス』で助演女優賞に輝いたゾーイ・サルダナが演じたのは、男性と同等の評価を得られず、不満を抱えた女性弁護士。彼女は、その働きに報いると誘われ、トランスジェンダーの麻薬カルテルのボス、マニタス(演じたカルラ・ソフィア・ガスコンは、主演女優賞候補)に協力する。ミュージカル映画である本作においてサルダナは、歌曲賞に輝いた“El Mal”の歌唱も担当した。ちなみにカンヌでは、サルダナとガスコンに、セレーナ・ゴメスとアドリアーナ・パスを加えた4人に女優賞が贈られている。 国際長編映画賞に輝いた『アイム・スティル・ヒア』(8月公開)は、1970年代のブラジルを舞台に、軍に逮捕された政治家の妻が、夫の行方を捜しつつ、懸命に家族を守ろうとする物語。力強くたくましい政治家の妻を演じたフェルナンダ・トーレスの主演女優賞と作品賞にもノミネートされた。 さらに、美術賞と衣装デザイン賞の二冠に輝いた『ウィキッド ふたりの魔女』(公開中)、主演女優賞候補のデミ・ムーアが注目を集め、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しした『サブスタンス』(5月16日公開)、短編ドキュメンタリー賞の『ザ・レディ・イン・オーケストラ:NYフィルを変えた風』(NETFLIXにて配信中)も、女性の物語だ。また、受賞こそ逃したものの、国際長編映画賞にノミネートされた『ガール・ウィズ・ニードル』(5月16日公開)では、夫が第二次世界大戦に出征し、単身取り残された女性の過酷な生きざまが、モノクロの力強い映像美と共につづられる。 一方、男性が主人公でも、女性の存在感が際立つ作品が少なくない。エイドリアン・ブロディの主演男優賞など3冠に輝いた『ブルータリスト』(公開中)は、ホロコーストを生き延びたユダヤ人建築家を主人公にしながらも、のちに米国で再会する妻(演じたフェリシティ・ジョーンズは、助演女優賞候補)が、それに劣らぬ強烈な存在感を発揮している。受賞は逃したが、国際長編映画賞候補の『聖なるイチジクの種』(公開中)も、職務に忠実な公務員で、大黒柱として家族を支える父親が主人公だが、ある事件をきっかけに、暴走していく彼に立ち向かう妻や娘たちの姿が描かれる。 こうした傾向が『ANORA アノーラ』の追い風になったという考えは、あながち間違っていないだろう。監督のショーン・ベイカーはこれまで、『タンジェリン』(15)、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(17)、『レッド・ロケット』(21)といった作品でも『ANORA アノーラ』同様、娼婦やポルノ俳優といった、いわゆる”セックス・ワーカー“に寄り添ってきた。彼らは社会的弱者でもあり、それは今回の受賞作に登場する女性たちの多くに共通する要素でもある。 そんな女性たちの存在感際立つ作品がそろった授賞式の中、関係者や周囲への感謝を述べる受賞者が多いスピーチで、力強いメッセージを発していたのが、助演女優賞のゾーイ・サルダナだ。 「私の祖母は、1961年にこの国に来ました。私は誇り高き移民の子です。夢と誇りを胸に、努力を重ねてきました。ドミニカ系アメリカ人として、初のアカデミー賞受賞。私に続く受賞者が現れると信じています。私がこの賞を受賞したのは、スペイン語で歌って話す役です。祖母がここにいたら、喜んでくれたわ」 彼女のこの言葉は、トランプ政権の反移民政策を踏まえたものと言われている。 こうして振り返ってみると、さまざまな女性たちの姿を通して社会的弱者にスポットを当てたのが今回のアカデミー賞で、『ANORA アノーラ』のカンヌ&アカデミー賞ダブル制覇は、その象徴だったと言えるのではないだろうか。 (井上健一)