【追悼】検察の裏ガネ告発して「口封じ逮捕」 亡くなった元大阪高検公安部長・三井環氏の壮絶な人生

検察の現職幹部が、検察の組織的な裏ガネづくりの実態を実名告発しようとしたが、直前に微罪で大阪地検特捜部に逮捕される事件が2002年にあった。そのとき逮捕された元大阪高検公安部長の三井環さんが、今年1月に亡くなっていたことがわかった。葬儀は家族で執り行ったという。80歳だった。 妻の厚子さんによれば、ここ数年は体調を崩して療養し、車いすが必要だったという。 「昨年の年末にはまだ元気で、子供たちが来たときは楽しそうでした。それがお正月に急に体調が悪化して救急車で運ばれました。その後は意識が戻りませんでした」 亡くなったのは1月9日。自宅を訪れると納骨されていない遺骨が置かれていた。 ■次席検事のときに知った検察の裏ガネ 三井さんは愛媛県の出身で、1972年に検事に任官。高知地検や高松地検時代には、異例の検察独自捜査を手掛け、敏腕検事として知られた。 三井さんが「検察の闇」に触れたのは、88年から高知地検ナンバー2の次席検事になったときだった。 「事務局長がこっそりと、『これサインしてください』とノートを持ってきた。聞けば『次席、あまり詳しく知らない方がいいです』という。検察が架空の出張費、捜査協力費などをでっちあげて、裏ガネをつくっていることがわかった」 「裏ガネは検事正の飲み代やゴルフ代などに消えていった。別の地検では検事正が『マージャン代がいるんや』と事務局長に命じて10万円を現金で裏ガネから持っていった。裏ガネの帳簿には『10万円検事正渡し』と書くように言うしかなかった」 三井さんは、週刊朝日や「噂の真相」などのメディアに匿名で検察の裏ガネの実態を告発するようになり、当時週刊朝日の記者だった私も三井さんの話を聞き、検察の裏ガネ問題を告発する記事を何度も書いた。 当初、三井さんの告発の動機には、検察内の人事で冷遇されていたことへの不満といった「私憤」があったという。告発は匿名で、実名告発については、「退職金をフイにしかねない」などと言っていた。 だが、裏ガネ問題が報じられても検察は否定し続けた。高松市のミニコミ紙発行人が検察の裏ガネを刑事告発しても、高松高検は「嫌疑なし」で不起訴とした。次第に三井さんの怒りは「公憤」に変わっていった。

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