「普通の社畜」から総資産2億円に大成功…新刊が話題の投資家が明かす「FXで大負けした過去」

「1998年に300万円を元手に株式投資を始めて、9年間で資産は2000万円に到達しました。自分は天才だと調子に乗って’07年にFXにも挑戦しましたが、上手くいったのはここまで。どんどん損失が膨らみました。 あの頃は精神的にボロボロで、『まだ、夫婦で将来のために貯めていた貯金があるじゃないか』という悪魔の囁きも聞こえましたが、『それだけはダメだ』と踏みとどまり、700万円を溶かしたところでギブアップ。翌’08年にはリーマンショックに見舞われ、資産は500万円を割ってしまいました。こんなはずでは……と思っていた’09年に、娘が生まれたんです」 『投資で2億稼いだ社畜のぼくが15歳の娘に伝えたい29の真実』(JTBパブリッシング)の著者、東山一悟(とうやま・いちご)氏の資産は2億円。“億り人”ならぬ“2億り人”だ。輝かしい実績をあげながら、東山氏は「ぼくは投資の天才などではなく、どこにでもいる普通の社畜でした」と謙遜するのだった。 昨年1月に新NISAがスタートし、投資をはじめとした資産形成に関心が集まっている。2月13日に野村総合研究所が発表した世帯の純金融資産保有額によると、資産1億円以上の「富裕層」、5億円以上の「超富裕層」の合計は165万世帯にのぼり、2年前の調査に比べて約11%増加したという。東山氏はいかにして「普通の社畜」から“2億り人”となったのか。 「ぼくは1991年に大手メディア企業に就職。1992年に長野支局に配属されました。 1994年の松本サリン事件や1998年の長野五輪など、長野で大きな出来事が続いたこともあって、あの頃は目まぐるしい日々を過ごしました。狭い社宅に同期の社員と2人で住まわされて、夜中の3時だろうが現場に呼び出されました。忙しいときは2ヵ月間ほぼ休みなし。当時で言う企業戦士、今で言う社畜として、会社に人生を捧げた自負があります。 投資を始めたきっかけは、1997年に橋本龍太郎内閣(当時)の大規模金融制度改革『日本版ビッグバン』が新語・流行語大賞トップテンに選ばれたこと。ちょうどその頃、東京本社に異動になって、何か新しいことを始めたいと思っていました。流行りの言葉に弱いタイプだったぼくは、せっかくだし株式投資や外貨預金をやってみようと思ったんです」 ◆父親の死を機に投資を再開 こうして東山氏は、当時の貯金300万円を元手に、1998年に投資をスタート。徐々に投資額や投資先を増やしていった。’06年に堀江貴文氏が逮捕され、IT企業の株価が一気に下がったタイミングで購入したソフトバンク(現ソフトバンクグループ)株が急上昇するなど、「今思えば運だけでそれなりの結果」を出して、資産は2000万円の大台に乗った。 しかし、冒頭の発言の通り、’07年にFXで大損を被ってしまう。 「FXのことはカミさんには言えませんでした。モテモテだったカミさんに猛アプローチして交際・結婚した経緯があり、彼女には頭が上がらないところがあって……。実はいまだに言えていないんです。 ただ、カミさんと生まれたばかりの娘のためにも、投資から離れようと決心して倹約と貯金に努めました。ランチは手作り弁当、自販機を使わず水筒を携帯し、渋谷―新宿間くらいなら電車を使わず歩きました。ポイ活やふるさと納税もフル活用。当時の年収は700万円ほどでしたが、年間250~300万円ほど貯金にまわしました」 そんな東山氏が投資を再開したのは、アベノミクス直前にあたる’11年夏。 「父の死がキッカケでした。投資をやっていた父から約500万円分の株式を相続する際、数年振りに証券口座を確認すると、リーマンショックで底値を付けた保有株が上がっていたのです。倹約生活で貯めた貯金も合わせると、総資産額は2000万円。FXに挑戦する前の額まで戻っていました。“今度はしっかり勉強して、もう一度投資を始めてみよう”と思ったんです。FXで負けで悔しかった気持ちも正直、ありました(笑)」 再び投資家として歩み始めた東山氏だったが、予期せぬ出来事が起きた。後編の記事では、東山氏が資産を10倍に増やすまでのプロセスを紹介する。 取材・文:芳賀慧太郎

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