「悪とどう向き合うべきか?」――正義も悪も見えにくい今という時代にこそ読まれるべき今野敏の最新作『天狼 東京湾臨海署安積班』(書評)

社会に存在する様々な「悪」にどう対峙すべきか? 正義も悪も多様化する現代における警察の戦いと葛藤を描いた本作の魅力を末國善己が語る。 *** 1992年の暴力団対策法の施行により暴力団は弱体化したが、それに代わって暴力団に所属せず犯罪を行う半グレが台頭した。上意下達で動くピラミッド型の暴力団とは異なり、特殊詐欺、点検詐欺、闇金、スカウトなどが資金源とされる半グレは、メンバーが緩やかに繋がり入れ替わりも激しいため把握が難しいとされる。闇バイトによる強盗が相次いだが、その黒幕も半グレか、それに近い組織とされている。 今野敏の人気警察小説〈東京湾臨海署安積班〉シリーズの最新作『天狼』は、半グレと臨海署の壮絶な戦いが描かれる。 須田が、管内のスナック『ちとせ』のマスターから三人組の男たちにミカジメ料を要求されているとの相談を受けた。安積が暴対係の真島に相談すると、相手は半グレの可能性があり、拠点や強固な組織を持たない半グレは取り締まるのが難しいが、『ちとせ』が被害にあわないよう対策をとると約束してくれた。 折しも、管内で傷害事件が発生。交機隊の速水が、元暴走族で「根っからのワル」の篠崎恭司を見たとの情報があるといい、ミカジメ料の取り立てと傷害を篠崎が命じた疑惑が浮上する。 再び『ちとせ』に三人組の半グレが現れ、張り込んでいた真島の部下を暴行し店を破壊した。続いて、居酒屋でアルバイトをしていたインドネシア人の女性を拉致しようとした半グレが、女性と同郷の男性アルバイトに刺される事件が発生する。 篠崎が根城にしているバー『カルロ』を張り込んでいた安積たちだが、動きがないため真島が様子を見に行き、応援にかけつけた安積たちも巻き込む乱闘になる。術科が得意な黒木が凄まじい戦闘力で次々と半グレを倒す迫真のアクションは、少林流空手今野塾を主宰する武術家で、『義珍の拳』などの武術小説を発表している著者の本領が発揮されていた。 だが『カルロ』の経営者の訴えで、暴対係と安積班、特に黒木の動きが問題視され監察官室が動く事態になる。 半グレを叩きのめした黒木は、厳密に法律や警察官の服務倫理規定に当てはめれば違法なのかもしれないが、力を行使しなければ現場にいた他の警察官が負傷したかもしれない。こうした規定と現場の判断の齟齬は、警察に限った話ではない。ルールを守っていると効率が悪いので柔軟に対応している製造現場や、ハラスメントと批判されても厳しく指導する研修など、日本のあらゆる組織で起きている。それだけに、自身が監察対象になり処分を恐れながらも、クビになっても「誇り」を守るとして捜査の正当性を堂々と主張し、職責をまっとうすることこそが「正義」と断じる安積は、真に正しい言動とは何かを突きつけており考えさせられる。また指揮官なので部下の行動の責任はすべて自分が取るという安積を、理想の上司と考える読者も少なくないのではないか。 安積班と暴対係の地道な捜査で、半グレのメンバーが次々と逮捕されるが、篠崎との関係や、その指示はなかなか明らかにならない。篠崎が、何のために半グレを動かして臨海署管内で連続して恐喝暴行などを行っているのかも不明なのだ。 当初は、部下を病院送りにされ面子をかけた捜査をしようと前のめりになっている真島をなだめていた安積だったが、速水が半グレに襲われて怪我をし、テロリストのように、自分は法律に縛られず一般市民全員を人質に取っているようなものなので警察に勝ち目はないと嘯く篠崎に怒りを募らせる。それは臨海署全体に広がり、篠崎たちの「喧嘩」を買うことになる。 後半になると、安積班、暴対係、地域課、自ら隊、交機隊が一体となって、篠崎たちに立ち向かうことになる。それぞれの部署は、拉致されそうになったインドネシア人の女性を保護したり、車で逃走した篠崎の行方を追ったり、篠崎の居場所を突き止めたりと、自分たちの職責をまっとうし、こうした小さな力が集まり次第に篠崎を追い詰めていく。ビジネスの現場では、組織の力を最大限に発揮するには、個人や部署を競争させる方がいいのか、全体の融和をはかる方がいいのかが議論されているが、本書はその解答の一つを示したといえるので、組織論としても秀逸である。 暴走族時代から篠崎を知る速水は、家庭環境に問題はないが「他人との共感とか道徳的な良心」がない冷酷な男で、人を操るカリスマ性を持っている「反社会性パーソナリティ障害」と評し、更生することはないという。犯罪者を更生させて社会に復帰させるのが刑事政策の基本と知っている安積も、出所した人間の四十九パーセントが再犯する現実を前にすると矯正はただの理想としか思っていない。また、かつて暴力団には町の顔役の一面があり、その弱体化が、半グレや外国人犯罪組織の勢力拡大に繋がった一面もあるとされる(暴力団と戦っている真島は、暴力団をポジティブに捉える見解を徹底的に批判しているが)。現代社会には、様々な悪が存在していて、それが害をなすこともあれば、利益をもたらすこともあり、善人に変わる悪人もいれば、死ぬまで悪人もいる。本書の悪をめぐる議論は、正義も悪も見えにくい時代に、悪とどう向き合うべきかを問い掛けているのである。 [レビュアー]末國善己(文芸評論家) 1968年広島県生まれ。明治大学卒業。専修大学大学院博士後期課程単位取得中退。時代小説やミステリー小説を中心に、文芸評論を執筆している。おもな著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』などがある。『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』『龍馬の生きざま』『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』など、全集やアンソロジーの編者としても活躍している。 協力:角川春樹事務所 角川春樹事務所 ランティエ Book Bang編集部 新潮社

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