“人間の欲望”をテーマにしたLemino制作のオリジナルドラマ“欲望三部作”第3弾「飛鳥クリニックは今日も雨」(全8話)が4月17日より配信中。原作は、Xのフォロワーが90万人を超えるインフルエンサー・Z李氏による同名小説。新宿・歌舞伎町で看板のない“何でも屋”を営む主人公・リーを森山未來が演じる。今回は、東洋一の歓楽街といわれる新宿・歌舞伎町の深淵を描いた本作について、アウトローの世界で数多くの取材を行ってきた、作家で編集者の草下シンヤさんに自身の経験を交えながら作品の魅力について深掘りしてもらった。(前後編の前編) ■迷路のような街・歌舞伎町 歌舞伎町は迷路のような街だ。 世界一の乗降者数を誇る新宿駅を出て数百メートル歩けば、東洋一の歓楽街と称される一角が広がっている。人、金、色恋、欲望などが集まるこの街はわずか500メートル四方の広さしかない。その中に1500件もの飲食店や風俗店がひしめき合い、キャッチの声によって通行人は狭い路地に吸い込まれそうになる。 そもそも歌舞伎町は戦後の焼け野原の復興時に、あえてT字路を多用し、行き止まりと死角が多くなる街づくりを行った結果形成された。その都市計画と押し寄せる人間の欲望が混ざり合い、歌舞伎町の混沌はより深いものになっているのだろう。 「飛鳥クリニックは今日も雨」はそんな歌舞伎町で起こっている人間ドラマを描いた作品だ。森山未來演じる主人公リーは歌舞伎町で看板のない何でも屋を営んでいる。探偵業か事件屋かわからない他人のトラブルに介入し解決することで生計を立てているグレーな存在だ。 リーのもとには、歌舞伎町で起こるさまざまなトラブルが持ち込まれる。ポンジスキームという投資詐欺にハメられたキャバ嬢からの金を取り返してほしいという依頼、行方不明になったトー横キッズを探してほしいという依頼……。 表通りを歩いているだけでも危うい匂いの漂う歌舞伎町において、その中に踏み入っていけばさまざまな危険に遭遇することは避けられない。歌舞伎町という迷路の中にはモンスターやトラップが数え切れないほど潜んでいる。モンスターとはヤクザや半グレなどの裏社会の住人、トラップというのは誰が敵で誰が味方かわからない疑心暗鬼の状況である。 歌舞伎町を縦横無尽に駆け巡るリーの動きは、躍動感に満ち溢れている。だが、毎話必ずモンスターやトラップに直面し、それを乗り越えていかなければならない。物語のスピード感を損なわずに、リーの機転によってトラブルを乗り越えていくところが本作の見どころのひとつだ。事実、私は数日にわけて視聴しようと思っていたのだが、1話目を見始めたら、そのまま一気に最終話まで見終えてしまった。 ■迷路に迷い込んだら 10代で上京し、数え切れないほど多くの時間を歌舞伎町で過ごしてきた私はドラマを観ながら、かつての自分の姿を思い出していた。 書いてはいけない話を書いてしまったことでヤクザに詰められた夜、半グレのケンカに巻き込まれて自分まで逮捕されそうになったこと、ヤクザとテキーラ飲み比べ対決をして明け方路上でつぶれていた時のこと、セット麻雀に呼ばれてみたら途轍(とてつ)もなくインフレルールで打つことになった時のこと、苦い思い出が多い。 自分の欲望をコントロールできなかったり、ルールを破ったり、時にはただ運が悪かっただけで、歌舞伎町という迷路に取り込まれ、姿を消してしまった者は多い。私も一歩間違えれば、身ぐるみ剥がされるどころか、命を落としていたかもしれないタイミングはいくつもあった。 20代の時、歌舞伎町の奥深さを体験してみたいと思って、あらゆるキャッチについていくという遊びをしたことがある。 友達と2人で実施したのだが、1軒目は金を払えば女性を連れ出すことができる中華系の風俗バーだった。私たちが女性との性行為に興味はないと言うと、コワモテの店員がやってきて圧力をかけてきたが、のらりくらり対処していると入場料金だけで解放された。 2軒目は、歌舞伎町のランドマークタワー的存在である風鈴会館の地下にある黒人が経営しているバーで、ガタイのいい店主がシャンパンを開けるようにグイグイと迫ってきた。隣の席にいた2人組のサラリーマンは完全にタカられて青い顔をして飲んでいる。 私と友達は店主の圧力に飲まれそうになりながらも、席についていた女性キャストがジャマイカ人だったことに目をつけ、私の持っているわずかなジャマイカ知識で場を盛り上げた。すると、女性キャストと店主と打ち解けることができて、非常に安い金額で会計を済ませることができた。店主は最後に「この店に来てお前たちは一番お金を使わなかった。だが、一番楽しかった」という褒めているのかよくわからない言葉で、私たちを送り出してくれた。 ■機転と駆け引き 3軒目はキャバクラだった。気をよくした私と友達は楽しく飲んでいたが、会計をすると数万円のプチぼったくりだった。キャッチについていくという遊びにおいて、正規料金以外は払わないと決めていた私たちはこの金額は払えないと突っぱねた。ボーイが引っ込み、店主がやってきたが、そこにも引かずに交渉していると、女性キャストがバックヤードに下がった。 店主は「面倒を見てもらっている人に来てもらいますよ」と凄みをきかせてきた。すると、友達の顔付きが変わった。この友達もただの一般人ではなく、裏社会の住人と日頃から渡り合っているような人物だ。「呼べばいいじゃないですか」と答えると、店主は電話をかけ始めた。 10分ほどが経過し、店のドアが開くと、スーツ姿の痩せ型の男が入ってきた。顔には明らかに「めんどくさいなぁ」という文字が描かれている。たまたまこの日事務所当番だった若いヤクザが眠い目をこすりながらやってきた感じだ。ヤクザは私たちを威嚇する意図なのか、目の前で砂鉄グローブをはめ始めた。私はこれからどうなるんだろうと思って状況を見守っていた。 するとヒートアップした友達とヤクザが揉み合いを始めた。殴る蹴るといった決定的な暴力行為は避け、胸ぐらを掴み合っている状態だ。2人とも決定的な衝突になることは避けたがっているように見える。しばらくその状態が続いていると、突然友達が「ああ!」と大きな声を上げた。そして床を指出すと「俺の大事な時計を壊しやがったな」と主張した。そこには友達がしていた腕時計が革のベルトがちぎれた状態で転がっていた。 ヤクザは反発する。「俺が壊したわけじゃない!」。しかし友達の反論が続く。「自分の時計をなんで俺が壊すんだよ。弁償しやがれ!」。しかし、私は見ていた。揉み合いの最中、友達が腕の死角を使って自らベルトを引きちぎり、時計を床に投げたのだ。 その後、友達の勢いが増し、ヤクザ相手に時計を弁償しろと迫り始めている。若いヤクザはこういった場面に慣れていないのか気圧されたような雰囲気になり、形勢は友達に傾いた。しかし、このままいけばぼったくりにあったとはいえ、逆にこちらが恐喝をすることになるし、若いヤクザの上層部の人間が出てくれば、問題は際限なく大きくなってしまう。私はここで止めに入って、時計は弁償しなくていいこと、その代わりに飲み代は正規の料金を支払うことで手打ちになった。 ■伏魔殿のような歌舞伎町 一連の出来事はわずか数時間で起こったことである。キャッチを入り口にしてケツ持ちとの揉み合いまで事態は一気に進んでしまう。改めて伏魔殿(ふくまでん)のような歌舞伎町の恐ろしさを知った私はこれ以降、バカな遊びをすることはやめた。 私は歌舞伎町の入り口に足を突っ込んだだけにすぎないが、トラブル解決のために奔走するリーは迷路の最深部に入り込んでいく。当然、無事でいられるはずがなく、ヤクザや半グレたちとのひりついた掛け合いや決闘を余儀なくされたり、時には弱点となる恋人や仲間が的にかけられたりもする。 リーはよく咥えタバコをしているが、そこから立ち上る煙こそ、リーの危うい存在を表しているように思える。歌舞伎町という迷路の中でリーはいつかき消されてしまってもおかしくない存在でしかない。さまざまな人間がリーのことをハメようと画策し、リーはギリギリのところでそれをすり抜けていく。そのヒリつく感覚が作品にこの上ない緊張感を与えていることは間違いない。 (後編へ続きます) 文/草下シンヤ