東京都文京区の向丘や西片地区は、本郷台一帯に広がる静かな住宅街だ。武家屋敷街の面影が残り、日本最難関・東京大学の本郷キャンパスがあることでも知られる。 その東大の最寄り駅で、無差別刺傷事件が起きたのは5月7日のこと。夜7時前、無職の戸田佳孝容疑者(43)が南北線・東大前駅の構内で20代の男子大学生らを刃渡り約20㎝の包丁を使い無差別に切りつけ。駆けつけた警視庁本富士署の警察官に、殺人未遂の疑いで現行犯逮捕されたのだ。 「戸田容疑者は長野県北部の生坂村に、数年前から1人で暮らしていたようです。事件当日は自宅から電車を乗り継ぎ上京。夕方4時ごろ現場周辺に到着すると、1時間半ほど東大構内を散歩したり、食堂で食事するなどして過ごしたとか。事件に使った包丁は自宅から持ってきたそうで、計画性がうかがえます」(全国紙社会部記者) 戸田容疑者は、犯行動機について次のような供述をしているという。 「自分自身、中学時代に教育熱心な親のせいで不登校になり苦労しました。東大を目指す教育熱心な親たちに、あまり度が過ぎると子どもがグレて犯罪を犯すということを世間に示したかった」 ◆「A君は開成中学に受かったのに」 記者は、事件が起きた周辺が地元だ。父親の受験熱は高く、近隣に住む優秀な同級生A君と比較され、よくこう叱責された。 「A君は(都内最難関の私立男子校)開成中学に受かったのに(卒業後は京都大学医学部へ現役で進学)、なんでオマエはこんな成績なんだ。もっと努力しろ(記者は都内の3~4番手校に進学後2浪して私立大へ)」 小学校でも中学受験をする子どもが半数近くおり、文京区の教育熱は以前から高かったように思う。だが、今回の事件の容疑者が供述したような「子どもがグレて犯罪を犯す」ような重大トラブルは聞いたことがない。東大前に40年近く暮らす記者の叔父が話す。 「このあたりで、大きな事件など起きたことはなかったと思うよ。治安はかなり良かった。ただ最近は、少しずつ雰囲気が悪くなっているね」 確かに近年、東大前では物騒な事件が相次いでいる。’22年1月に愛知県内の名門校に通う男子高校生が通行人3人を刃物で次々に切りつけ、今回の事件では43歳の男が駅構内で面識のない大学生を襲撃……。最難関大学が本部を置く歴史ある住宅街に変化が起きているのだ。 背景に、どんな要因があるのだろうか。教育ジャーナリストの石渡嶺司氏が解説する。 「以前は、教育や受験での挫折を『もっとがんばろう』『次こそは』と自分を鼓舞する糧にしていました。しかしデジタル社会が発達し、都合の良い情報ばかりに囲まれるネットの『フィルターバブル』に入ると『うまくいかないのは自分のせいではない。社会が悪いんだ』と考えがちです。 不満は『成功したエリート』や『彼らの住む街』に向けられます。事件の起きた東大前は象徴的で、ゆがんだ憎悪を持つ人間にとってはわかりやすい名前の場所でしょう。教育問題で不安を抱えている人たちに、『東大以外はダメ』という狭い視野ではなく、勉強以外にも活躍の場はたくさんあるんだよとアドバイスすることが大切だと思います」 今回の事件で、戸田容疑者は「『東大』と名前の入る駅で事件を起こしたら虐待を連想しやすいと思った」とも供述している。