「ホテルの高級家具が燃える。惜しい。家具の運び出しを優先しろ」 自身の不始末から、かつて買収した赤坂のホテルニュージャパンで大規模火災を招いてしまった起業家の横井英樹氏(享年85)。短い年月で大きな財を築き、逮捕もされる波乱万丈の人生を送った氏はどんな人物だったのか? 報道カメラマンの橋本昇氏の新刊『 追想の現場 』(鉄人社)のダイジェスト版をお届けする。 ◆◆◆ 横井英樹氏。昭和・平成を駆け抜けた「乗っ取り屋」として知られる人物だ。貧しい生まれながら、その才覚によって大きな財を築いた横井氏の人生は、波乱に満ちたものだった。 「ホテルの高級家具が燃える。惜しい。家具の運び出しを優先しろ」 1979年、横井氏は東京・赤坂の「ホテルニュージャパン」を買収した。しかし、彼の経営哲学が後に大きな悲劇を引き起こすことになる。 横井氏はホテルの安全管理に無駄金を使わないという方針を貫いた。自動火災報知器の定期点検はせず、スプリンクラーも形だけのものだった。この判断が、1982年2月8日の悲惨な火災事故につながった。 外国人宿泊客の寝タバコが原因で発生した火災は、瞬く間にホテル中に広がった。33人の命が奪われる大惨事となった中、横井氏の現場での言動は驚くべきものだった。 「ホテルの高級家具が燃える。惜しい。家具の運び出しを優先しろ」 横井氏はこのように従業員に指示したという。人命よりも家具を優先するという彼の判断は、後に大きな批判を浴びることになる。 この事件の責任を問われ、横井氏は1993年に禁固3年の判決を受け、刑務所へ入ることになった。 出所後の横井氏の生活も、波乱に満ちたものだった。神奈川県足柄の東海大学病院に入院していた際、複数の愛人女性が入れ替わりで見舞いに来る様子が目撃されている。 橋本昇氏は、病院で横井氏を直撃しようとした際の様子をこう語っている。 「『横井さん体調はいかがですか?』と声をかけたとたん、傍にいた愛人Aさんが『止めてください!』と金切声を上げ、横井氏の前に立ちふさがった」 横井氏は「病人とは思えないほどの俊足」で逃げ去ったという。 1998年、心臓発作で急逝した横井氏。85年の波乱万丈の人生は、最後まで彼らしい生き方だったと言えるだろう。 ◆◆◆ この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。