日産自動車は6月24日、横浜市のグローバル本社で定時株主総会を開いた。イバン・エスピノーサ社長は業績悪化について陳謝し、工場閉鎖や人員削減を含む再建計画への理解を求めた。株主からはリストラ策や高額な役員報酬について厳しい質問が相次ぎ、一時は怒号が飛び交う場面もあった。 2025年3月期、日産は6708億円の最終赤字に陥った。株主総会に出席した80代の元日産社員は「壇上の経営陣は赤字に対する責任感がなかった。ものづくりへの意欲にあふれた人材がおらず、あの経営陣ではクルマはつくれない」と厳しい。日産系サプライヤーに務める50代男性は「再建計画(Re:Nissan)は弱いと感じた。20年前にカルロス・ゴーン氏が実行したリバイバルプランの焼き直しに感じる」と語る。 現在の日産自動車の姿を、1990年代末の経営危機時に重ねる向きがある。当時の経営危機から四半世紀。仏ルノーから転じ業績をV字回復させたゴーン体制とその崩壊・再生の過程には、経営計画があった。日産が追い求めた理想と現実のギャップは何だったのか。経営計画と当時の日経BPの記事とともに振り返る。 ●再生計画とV字回復 バブル崩壊後、日産は慢性的な赤字体質に陥り、巨額の有利子負債を抱える状況にあった。経営再建に向け資本提携したルノーから送り込まれたゴーン氏の下で、1999年に発表されたのが「日産リバイバルプラン(NRP)」だ。 計画の要諦はリストラと社内体質の変革にあった。内容は「劇薬」と呼べるものだ。 2000年度までの黒字化や営業利益率の目標、有利子負債の削減を「必達目標」と表現し、日産は「再生の可能性大」とした。生産では東京都武蔵村山市の完成車工場をはじめとした複数の国内工場の閉鎖を発表。完成車工場では7拠点を4工場に集約して稼働率を3年後に53%から82%に高めるとした。グループ従業員約2万人の削減や、部品サプライヤー数の半減、ディーラー数の削減も打ち出した。官僚的な縦割り組織の打破に向け、テーマごとの組織「クロスファンクショナルチーム」も立ち上げた。 計画の効果は即座に表れた。「必達目標」の数字はいずれも達成し「V字回復」と評された。01年11月の日経ビジネスのインタビューでゴーン氏はNRPについて「日産が永続的に利益を上げ成長するためのもの」と表現。コスト削減が先行しているとの指摘については「当たり前であり、即実行しなければならなかった」と話した。その上で製品の刷新や投資効果が「これから出てくる」とした。