独特の存在感放つも特捜部で不祥事多発、特刑部は目立たず 「関西検察」の明日は

特捜検事による不適切な取り調べの問題が浮上するなど、その捜査手法に国民の疑念が向けられるようになった検察。「あるべき姿」が問われる中、検察庁の組織・捜査体制をどう適正化していくかにも注目が集まっている。今回は、そんな検察において独特の文化を持つとされる、「関西検察」について考えたい。 ■現役とヤメ検の近さ 検察庁では4、5年目の検察官を「A庁検事」と呼ぶ。3年程度経験を積んだ後に、東京、大阪、名古屋の「A庁」といわれる大規模庁で2年間、勤務する。 かつては、関西出身者でこの2年間を大阪地検で勤務した検察官を中心に、その後も関西圏で主に人事異動を繰り返す傾向が強かった。このため、こうした経歴や人事が「関西検察」などと通称されていた。 組織としての頂点は大阪高検だが、象徴といえるのが大阪地検特捜部。かつては「戦後最大の経済事件」といわれたイトマン事件を手掛けるなどしたが、近年では手掛けた事件よりも、不祥事の方が目立つ。 元検察幹部の弁護士は「関西検察では、現役とヤメ検(検察出身弁護士)の人間関係が『近すぎる』とやり玉にあげられ、『全国一律人事』の徹底が何度も繰り返されてきた」と振り返る。 昭和の終わりごろには東京、大阪両地検の特捜部で交換人事が始まった。平成14年に当時の大阪高検公安部長による収賄事件が起きた後は、東京地検特捜部で副部長を務めた佐渡賢一氏が東京地検次席から京都地検検事正となり、その後に大阪地検検事正も務めた。 平成22年、特捜検察に大打撃を与えた大阪地検特捜部主任検事による証拠改竄(かいざん)事件が発覚。その後は、引責辞任した大阪地検検事正の後任として東京地検公安部長などを務めたものの、関西勤務歴が全くなかった北村道夫氏が検事正に指名された。 ■目立たぬ京都特刑部 27年に女性初の大阪地検特捜部長に就任した山本真千子氏(現・札幌高検検事長。福岡高検検事長に就任予定)は、〝大阪特捜〟の生え抜きだった。着任の際は証拠改竄事件について「国民の信頼を損ねた決して忘れてはいけない事件」と、言葉少なに語った。 そんな山本氏が事件直後の23~24年に務めていたのが、京都地検特別刑事部(特刑部)の部長だ。大阪地検特捜部を「頭」とするなら、京都地検特刑部は神戸地検特刑部と並び、関西検察における独自捜査部門の「両翼」といえる。

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