戦争から80年が経過する節目に、「戦争の記憶」をいかに継承すべきかという問いが改めて注目されている。さまざまな媒体のなかでも、特に映画の力は大きい。実録ドキュメンタリーと名乗るには作品ごとに性質を見極めねばならないものの、戦争経験者から話しを聞いて形作られた“当時の日常”はフィクションでも人の心に訴えかける訓話として成り立つからだ。ごく普通の家庭が送る何気ない日常が、戦争の影響によってどう変じたのか。市井の人たちがどのように喪失を消化していくしかなかったのか――。観る者に“戦争の悲哀と再生”を深く体感させるために必要なのは勇壮な戦士たちの活躍記録ではなく、“国の一員だから”と戦争に巻き込まれた民間人たちの生活だ。本稿では「母と暮せば」「父と暮せば」など市井の人々の視点から戦後を捉えた作品に着目し、改めて戦後80年という節目に目を向ける。 ■家族の目線で描かれる「戦争の記憶」 「父と暮せば」は黒木和雄監督による2004年の映画作品で、井上ひさし氏が原作の舞台戯曲を映像化した作品。原爆投下後の広島を舞台に、生き残った娘・美津江(宮沢りえ)と彼女の前に現れる父の亡霊・竹造(原田芳雄)との心の葛藤を丁寧に演出する。 “なぜ自分ひとりが生き残ったのか”という美津江が抱える罪の意識や、それでもどうにか日常を取り戻そうとする心の動きを宮沢と原田の熱演で濃密に表現した同作。青年に惹かれながらも「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と自分を押し殺す美津江の前に、“押し入れ”からひょっこりと死んだはずの父が現れた。 ちょっとコミカルな父の所作と、罪の意識からくる重苦しさに身動きできない美津江。そのコントラストが会話のなかで徐々に溶け合っていく姿は希望的でもあり、逆に戦争がもたらした残酷な日常からの脱却がいかに難しいかを物語っている。 一方、「父と暮せば」の対になる映画「母と暮せば」は、2015年12月12日に公開された山田洋次監督による戦争を題材とした家族ドラマ。1948年8月9日の長崎を舞台に、原爆で息子を失った母・伸子(吉永小百合)と、命を落とした浩二(二宮和也)、その恋人・町子(黒木華)との日常と対話を通して、戦争に奪われた“普通の日々”のかけがえなさを静かに映し出す。 映画冒頭、息子・浩二は普段どおり学校で授業を受けていた。インク瓶にペンを刺してノートに向かった一瞬のあと、そのインク瓶が一瞬で溶けるほどの熱を浴びて命を落とす。まったくなんでもない生活のひとコマにあって、覚悟も決意もなく死ぬ…とても信じられない死にざまは、訃報を受け取った母にも同じだけの衝撃を与えた。 息子の幻影が見えてからは気丈に振舞っていても、随所には喪失の悲しみがにじんでしまう。浩二と恋仲だった町子に新しい道を勧めつつ、いざ婚約者を連れてきたときは「浩二、この方ね、町子さん…」と仏壇の前で声を詰まらる。口もとを抑える手指の震え、めでたい報告であるからと泣き声をどうにか押しつぶそうとして、それでも漏れてしまう嗚咽。町子自身も、浩二を残して自分が幸せになることへの罪悪感を感じていた。“残された者たち”の悲嘆は、連綿と続いていく。 両作品は原爆投下という圧倒的な暴力を直接的な描写を避けながら、親子の会話や回想を通じて浮かび上がらせる手法が特徴的。「命を落とした人ではなく、後に残された者の苦しみ」という視点で“戦争に巻き込まれた市民たちが感じるリアル”を描いているのだ。 ■黒木和雄監督、山田洋次監督のまなざし コミュニティーの最小単位ともいえる“家族”の物語を中心に据えた作品世界は、黒木和雄監督や山田洋次監督らの実体験と深い思索に基づいている。 黒木監督は戦争レクイエム三部作として、「TOMORROW 明日」(1988年公開)、「美しい夏キリシマ」(2003年公開)、そして「父と暮せば」(2004年公開)の3作品を手がけた。戦場そのものよりも“そこに生きた人々の日常”と、日常を奪われた後の再生がテーマだ。 日常性の中にこそ、戦争の異常さが際立つ。そして1人ひとりの苦しみや希望が、普遍的なものとして昇華されていく。黒木監督自身、1945年5月8日に宮崎県都城の川崎航空機工場で勤労動員中に米軍機の空襲に遭い、10人余りの友人を失った過去を持つ。この痛切な体験は特に「美しい夏キリシマ」で自伝的に描かれている。 一方山田監督は、自身の戦争体験を子ども時代までさかのぼって語っている。2歳で満州に渡り、1945年、大連で中学2年生として終戦を迎えた。“復讐されるのでは”という恐怖を持ちながら、“戦禍から逃れたい”という純粋な感情は“家族を守りたい”という願いに重なった。 映画スクリプターの野上照代のエッセイ「父へのレクイエム」を原作とした映画「母べえ」(2008年公開)も、山田監督がメガホンを取った戦争映画。昭和15年(1940年)から昭和16年(1941年)にかけての激動の時代を、思想犯として逮捕された夫と娘2人を支える母の目を通じて家族の絆、戦争への怒りを描いている。 そのなかで「母と暮せば」は作家・井上ひさし氏が生前に構想していた「戦後“命”の三部作」のうち、長崎を描く作品。原作を描いた井上氏は2010年4月に逝去したため、山田監督がその遺志を受け継いで映画として完成させた。のちに作品は第89回アカデミー賞外国語映画賞部門の日本代表に選出され、興行収入約19.8億円を記録するなど高い評価を得た。 これらの作品には、戦時下にあっても失わなかった人情、互いを思いやる心、そして理不尽に立ち向かう家族像がにじむ。山田監督の作品はそうした人間本来の強さへの賛歌であるとともに、暴力と喪失に怯えて“一致団結せざるを得ない”戦争の悲惨さを強烈に訴える作品なのだ。 ■“記憶”を受け継ぐために 戦争を直接体験した世代の急速な減少が進んでいる。戦後生まれの人口が全体の84.5%を占め、被爆者の平均年齢は86.13歳に達した。その数は2025年3月末時点で99,130人となり、初めて10万人を下回るという。しかし戦争は決して遠い過去に消えゆく伝説ではなく、現代を生きる我々自身の問題であることを映画は雄弁に語りかける。 映画は言語化し難い体験を感情として世代間に伝える稀有なメディアだ。ノーベル賞作家で長崎県出身のカズオ・イシグロも2025年5月の第78回カンヌ国際映画祭のインタビューで、「戦争や原爆を経験した人がどんどん亡くなっている中、体験を直接聞いてきた世代に記憶の継承の責任がある」とコメント。“記憶の継承”は、もはやスクリーンの中だけの話ではない。観る者1人ひとりが、当事者たちの“悲しみ”や“怒り”、そして未来へ託した希望を受け止め、語り継いでいく責任を担っていると考えるべきだろう。 衛星劇場では、終戦から80年となる2025年に合わせて「終戦80年 映画が伝える戦争の記憶」を特集放送。8月16日(土)夜9時45分ほかからは「父と暮せば」を、8月17日(日)昼5時35分ほかからは「母と暮せば」を放送する。また映画のほか、こまつ座による舞台「父と暮せば(2021年版)」(8月16日[土]夜8:10)、「母と暮せば」(8月17日[日]昼4時ほか)もあわせてオンエア。 映画は、かつて存在した日常と、それを取り戻そうとした人々の営みを刻む。終戦80年という節目の2025年…記憶の風化を防ぎ、未来へ語り継ぐために必要なことをいま一度考えるべきかもしれない。