米国の移民関税捜査局(ICE)が構築しつつある監視システムは、もはや近未来SFの描写と見分けがつかない水準に達している。顔認識、位置情報、DNA、虹彩スキャン、電話盗聴、ソーシャルメディア分析――それらが単独ではなく、巨大なデータ基盤のもとで統合され、全米規模で運用されているからだ。【一田和樹】 ICEは2003年3月の創設以来、高度な監視技術を活用してきた。しかし、トランプ政権下で進む監視の拡張は、従来の不法移民対策の枠を大きく超えつつある。反ファシスト運動(アンティファ)を事実上の国内テロ対象と位置づける大統領令が、それを端的に示している。 批評家や市民団体は「全米の市民を監視する権限が、事実上ICEに与えられた」と警鐘を鳴らす。 なお、ICEは国土安全保障省(DHS)の組織であり、DHSの税関・国境警備局(CBP)も同様の機能と権限を有していると考えられている。ここでは便宜上、表記をICEとしている。 【「100万人送還目標」と監視強化】 トランプ政権は就任初年度に「100万人の強制送還」という野心的な目標を掲げた。これを達成するため、国土安全保障省(DHS)の人的・技術的資源がICE支援に集中投入されている。だが、ICE自身の統計によれば、逮捕者の約3分の2は刑事有罪判決を受けていない。にもかかわらず、監視と摘発は全米に拡大している。 現在のICEは、スマホの位置情報、顔認識、ナンバープレート自動認識(ALPR)、信用情報、公共料金データ、さらにはDNAや虹彩スキャンまでを捜査に利用している。 それらはスマホのアプリ「Mobile Fortify」から参照できるようになっている。現場捜査官はスマホで対象者の顔やナンバープレート、あるいは指紋を撮影するだけで、氏名、生年月日、国籍、市民権ステータス、国外退去命令の有無を始めとする個人情報が表示される。 現在、ICEは「出生証明書よりもMobile Fortifyアプリの結果を優先する」としており、このアプリは絶対的な存在となっている。 ICEは、移民関連の権限を地方や州機関に委任することができる「287(g)プログラム」によって、各地の警察官が移民摘発を行えるようにしている。事実上、警察官をICE職員に変える仕組みだ。その際、Mobile Fortifyの機能限定版である「Mobile Identify」というアプリを利用している。 このアプリも、スキャンするだけで莫大な個人情報を確認できるようになっている。 最近では、Metaのスマートグラスも用いられているという報道がある。見かけはサングラスだが、誰かを見ると関連情報が表示されるというものだ。ノースカロライナ州シャーロットでの強制捜査の際に使用されていることが確認された、と404 Mediaが報じている。 見られただけで個人情報が渡り、撮影までされるという、悪夢のような装置と言える。悪用された場合、歯止めがきかなくなるだろう。 この強力な監視体制は、ICEが他の米政府機関や民間企業を活用することで実現されている。民間のデータブローカーからデータを購入し、監視技術を持つ民間企業にシステムを発注している。また、アメリカの各行政機関を情報源として横断的に利用している。 国土安全保障省(DHS)からは対象者の市民権ステータスの情報を得ており、全納税者のデータを保有する内国歳入庁(IRS)からは納税者の住所などの個人情報を入手していた(後に訴えられ、情報共有は停止)。 運輸保安庁(TSA)からは、週に複数回、空港を利用する旅行者のリストを得ている。ICEには、行政機関内のデータを自由に使えるという認識が蔓延している、という指摘もある。 【民間企業と結びつく監視国家】 この巨大監視網を支えている民間企業は、Flock Safety、Palantir、トムソン・ロイター、LexisNexis、AT&T、Clearview AI、TechOps Specialty Vehiclesなど多数存在する。 Flock Safety社は、全米の高速道路、幹線道路、駐車場に設置された8万台以上のカメラネットワークが送る静止画像からナンバープレートを認識し、データベースと突合するシステムを持つ監視企業だ。収集したデータをPCやスマホで利用するためのアプリ「FlockOS」でナンバープレートをスキャンすれば、即座に所有者の個人情報がわかる。 それだけでなく、ナンバープレートリーダーを監視カメラとしても活用しており、カメラ前を通過する車両のライブ映像や15秒クリップを確認したり、AIによる自然言語検索でカメラが捉えたあらゆるものを検索したりすることができる。自動車を監視装置に変えたと言ってもよいだろう。いずれ顔認識機能とも連動する可能性が高い。 ICEやCBP、全米の警察(49州5,000の法執行機関顧客。アラスカ州には未導入)を主要顧客としている。市場占有率は高く、活動家グループ「DeFlock」が収集したナンバープレート読み取りカメラのデータによれば、3分の2がFlock社製だった。 Palantirは10年以上にわたり、「Falcon」と呼ばれる分析ツールや、ICEの捜査データベースおよび捜査案件管理システムを構築してきた。最近では、国外退去対象者を特定・優先順位付けするプラットフォーム「ImmigrationOS」の構築を受注している。 同社の捜査案件管理システムは多様なデータを統合するプラットフォームで、数百のカテゴリー(移民ステータスや出身国から、傷跡、タトゥー、ナンバープレート読み取りデータまで)で人物検索が可能となっており、そこには位置情報履歴、SNS、金融記録、生体認証識別子といった情報も含まれている。 このプラットフォームにはSNSの投稿の分析も含まれているが、さらに一歩進んでICEに否定的な感情を持つ個人や暴力などの脅威となりうる個人をSNSやオープンソース情報から特定し、監視対象とする計画もある。 トムソン・ロイターの「CLEAR」は、公共料金請求書や車両登録、信用情報など数百万人分のデータを蓄積したデータブローカーで、全米規模のナンバープレート監視ネットワークも有している。ICEの捜査官はスマホで車両をスキャンし、「警戒リスト」に載っている車両があれば即座に把握できる。 LexisNexisもトムソン・ロイターと同様のデータブローカーで、自動車の運転データ(位置情報や日時)などをはじめとする莫大な個人情報を販売している。同社のウェブを見ると、多数の自動車のデータが同社に流れていることがわかる。 ただし、自動車は一例にすぎず、他に広範かつ莫大な個人データを保有している。同社は2,210万ドルでICEと契約しており、ICEは同社が保有する2億7,600万以上のアメリカ市民の個人情報にアクセスできる。 監視技術専門企業BI²テクノロジーズは、米国政府最大の移民監視プログラムを運営している。同社が提供する拘置代替措置(ATD)プログラムは、不法移民、あるいはそれが疑われる対象者を拘置する代わりに、監視装置を装着させる措置だ。 ATDに登録されると、足首や手首(専用スマートウォッチ「VeriWatch」)などに装着することになる。 本人が外すことはできず、それらからの信号が途絶えると、逃亡とみなされるリスクがある。バイデン政権下ではATDによって約37万人の移民が監視されていたが、2025年には約18万人まで減少した。また、同社はICEに携帯型虹彩スキャナーも提供している。 AT&Tからは、通信情報の生データならびにデータの分析・解釈が提供されている。数兆件に及ぶ米国民の通話記録やスマホの位置情報も照会可能となっている可能性が高い。 Clearview AIからは、顔認識システムを375万ドルで入手している。過去の契約書とプライバシー文書では「児童性的搾取事件」への使用が明記されていたが、今年の契約には「法執行機関に対する暴行事件」が追加された。これが抗議活動にも拡大される可能性が指摘されている。 なお、Clearview AIはプライバシー侵害の懸念から、一部州で使用を禁止されている。 TechOps Specialty Vehiclesは、「スティングレイ」とも呼ばれるIMSIキャッチャー(セルサイトシミュレーター)を提供している。「スティングレイ」という名称は、もともとハリス(現L3ハリス)社が製造した初期型の一部がこの名称だったため、この種の技術の総称としても知られる。スマホの傍受や位置特定に用いられる装置である。 この他にも、バイデン政権下では人権への懸念から使用を中止していたスパイウェアをイスラエル企業Paragon Solutionsから購入したり、ShadowDragon社のSNS分析システムの導入、Babel Street社の世界中のスマホの位置を特定するLocateXなど枚挙に暇がない。これらは氷山の一角にすぎない。 保険、消費、移動など、個人が日常生活で利用している民間企業のデータがICEに渡っている。 【監視対象は全世界】 ここまで読めばわかるように、これらの監視が移民に限定されていないことは大きな問題だ。アメリカにいる者をすべて調べ、不法移民をあぶり出すという理屈のため、アメリカにいる人間は誰でも監視対象だ。つまり、もはやICEはアメリカにいるすべての人間を監視する組織になっているのだ。 専門家は、この状況を「移民排除を名目にした全国民監視」と指摘する。データブローカーとAIの発達により、国家はかつてないほど低コストで包括的な監視を実現できるようになった。その最先端にいるのがICEなのだ。 こうした動きが示すのは、アメリカが「自由と法の国」から、「アルゴリズムとデータに統治される監視国家」へと静かに変貌しつつある現実だ。移民政策の名の下に進むこの変化は、いずれ国境を越え、他国の制度設計にも影響を与える可能性がある。 現時点でも、アメリカに支社があったり人材を送り込んでいたりする企業は、それらが監視対象になることを前提に考えなければならなくなっている。政府批判のSNS投稿をした職員や研究者は、一度アメリカを出た後、再入国時にSNS投稿をチェックされ、入国拒否される可能性がある。 次のステップは、全世界を対象にした監視システムの構築の可能性が考えられる。潜在的なテロリストの入国を事前に防止できるほか、アメリカで有罪判決や制裁対象となった人物が国外に潜伏している場合に、あぶり出すことも可能になる。 たとえばトランプ政権は、EUが米ビッグテックへの規制を強めていることを批判し、報復措置として具体的な企業名を挙げて制裁を行う可能性を示唆した。 同様に、日本企業に対しても、不法移民を擁護したりトランプ政権を批判した個人が所属する企業や、居住する自治体に対して、本人をアメリカに送致して裁判を受けさせなければ、取引停止とする報復措置を宣言する可能性がある。 取引停止は、アメリカへの輸入の停止だけでなく、米ビッグテック(Google、Microsoft、Amazonなど)が提供するクラウドなどのサービスを停止する形を取ることも考えられる。トランプなら、やりかねない。