南こうせつ 昭和の名曲「神田川」誕生秘話 作詞未経験の若者を口説き「1週間後に出てきたのが」

歌手の南こうせつ(77)が9日深夜放送のTOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」(月~木曜深夜1・00)に出演。1973年にリリースされ大ヒットした「神田川」の誕生秘話を語った。 同番組には作詞家の秋元康氏と出演した。「神田川」が生まれたきっかけについて聞かれると、2021年に亡くなった作詞家・喜多條忠さんとの出会いを挙げた南は「文化放送だった」と切り出した。 当時「かぐや姫」のシングル盤が発売され、プロモーションで訪れると、放送作家を務めていた喜多條さんは、台本の執筆中だった。紹介された南が「よろしく」とあいさつすると、「仕事中なのに何だ」という渋い表情だった。 しかし「あまりにもスラスラ書くもんだから、“喜多條さん、詞は書かないの?”」と聞くと、「俺は歌は書かない」とつれない答え。それでもねばる南に、喜多條さんは「無理」と重ねながらも「自由詩なら書ける」と譲ったため、南は「“どんなのでも僕はメロディーを付けられるから”って大ボラを吹いた」と振り返った。 その後2人で喫茶店へ。「あの頃の学生は、会って向かい合うと“世がどうした”“これからどう生きようか”“アメリカじゃこうだよ”。そんな話で尽きなくしゃべって、“じゃあね。詞、書いてよね”」と別れた。「1週間後に出てきたのが、“マキシーのために”。それが始まりで、その何年後かに“神田川”ができた」と明かした。 そして「マキシーのために」の成り立ちを解説。喜多條さんは早稲田大学で学生運動に参加、その時仲間だった女性を「マキシー」と表現した。実際は「ピラニア」と呼ばれており、当初は「ピラニアのために」というタイトルだった。機動隊に飛びつくと離さないことから「ピラニア」との異名をとったが、やがて学生運動が衰退する中、東大安田講堂事件で逮捕されたという。 喜多條さんから聞いた話として、南は「彼女は世のため、人のため、改革をするために体制に立ち向かった。逮捕されて冷静になったら、“私たちは迷惑を世の中に掛けてた”。コンクリートを剥がしたり投げたり」といい、「そのことで、彼女が鬱病かなんかになって自殺しちゃった」と明かした。 そのため「最初に僕に歌の詞を書くんだったら、“彼女のことを書きたい”って」と回想。タイトルこそ変更されたものの、「それで“マキシーのために”、それが喜多條さんとの出会い。そしてしばらくして“神田川”ってのができた」と語っていた。

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