3月20日で地下鉄サリン事件の発生から30年となる。オウム真理教被害対策弁護団の主要メンバーとして、信者の脱会や被害者への補償などにあたっている弁護士の伊藤芳朗氏に話を聞いた。 伊藤芳朗弁護士(64)は、1989年に妻と長男とともに行方不明となり、その後、オウム真理教に殺害されていたことが分かった坂本堤弁護士と親しく、ほかの弁護士らとともに家族3人の捜索活動に携わってきた。 伊藤氏: 「坂本さんとは弁護士になる前の司法修習生時代からの付き合いでした。年は私より4歳上で、親分肌で後輩からも慕われていました。子供の人権問題にお互いに関心が強かったことから意気投合して親しくなり、司法修習生時代に少年事件の研究会を立ち上げるなどしていました」 坂本弁護士は入信した信者の脱会支援にあたっていたが、89年11月の深夜、横浜市内の自宅アパートで就寝中に麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の指示を受けた早川紀代秀元死刑囚や新実智光元死刑囚ら6人に襲われた。妻の都子さんやまだ1歳だった長男の龍彦ちゃんとともに、首を絞められるなどして殺害された。 自宅には教団のバッジであるプルシャが見つかるなどオウム真理教の犯行をうかがわせる物証もあったが、捜査の進展はみられなかった。 ◆「警察はオウム真理教を避けていた」 伊藤氏: 「私のところにも当時、神奈川県警が3回聞き込みに来ましたが、何を聞いたのかというと私のアリバイで、3回目にはさすがに怒りました。私たちはオウム真理教を疑っているのに、警察はオウム真理教に切り込んでいるのかと。 今から振り返れば 神奈川県警はあえてオウムを避けてきたと思います。宗教団体に切り込むのが億劫だというのもあれば、坂本さんが所属していた横浜法律事務所がいわゆる左翼系の事務所だという偏見もあったと聞いています」 行方不明になった直後の1990年2月には、龍彦ちゃんが長野県の山中に埋められているという匿名の手紙が地図とともに警察に送られてきて、大規模な捜索が行われたが発見できなかった。 その後、この手紙は実行犯の1人だった岡崎一明元死刑囚が麻原元死刑囚を脅して金を得るために送ったものだと分かった。 1995年9月、地図で示された場所周辺で龍彦ちゃんが、新潟県で坂本弁護士が、富山県で都子さんが遺体で発見された。事件の発覚をおそれた教団は、3人を遠い別々の場所に遺棄していた。 伊藤氏: 「オウム真理教に拉致され、生存していることを信じて救出を訴える活動をしてきました。時が経つにつれて『生きていないのでは』という思いもありましたがそれを否定して、『生きていてほしい』と願ってきました」 「坂本さんの遺体が見つかった日は捜索活動を取り上げるテレビ番組に出演していましたが、遺体発見の一報が入った時、中座して「坂本弁護士と家族を救う会」の同僚の弁護士に電話しました。 『坂本さんはやっぱりだめだったんだね』と。語り合うというより、お互い無言でした。その時に私の中で、『坂本さんは死んだんだ』という思いが募りました」 地下鉄サリン事件の前年の1994年6月には松本サリン事件が発生し、教団施設やプラントなどがあった山梨県上九一色村(当時)の周辺の土壌からはサリンの残留物が発見された。 伊藤氏: 「地下鉄サリン事件については、オウム真理教がサリンに関わっているという予測があったのに止められなかったのは残念です。 また94年4月には宮崎県の資産家男性が入信した子供らに拉致される事件がおきて、9月に上九一色村の第6サティアンから奪還されました。 私が担当として刑事告訴や奪還後の男性の身の安全をはかりましたが、教団の関与が明らかなこうした事件でも大規模な捜索や強制捜査は行われませんでした」 ◆事件関与を否定する教団 弁護士らを攻撃 1995年3月20日の地下鉄サリン事件や2日後の教団施設への強制捜査、5月の麻原元死刑囚の逮捕など、教団をめぐる事件が大きく動く中、伊藤弁護士はテレビなどのメディアで教団の危険性を訴えた。 一方、教団幹部も記者会見やテレビ出演などを通じて、一連の事件への関与を強く否定し続けた。 伊藤氏: 「私も宮崎の資産家拉致事件などを担当していたので教団からの脅威は感じていて、自宅にはあまり戻りませんでした。 地下鉄サリン事件の前には井上嘉浩元死刑囚がテレビクルーを装ってうちの法律事務所に来ようとしたことがあり、逮捕後に東京拘置所で接見したときに本人も認めていました。 その時は偵察だったと思いますが、麻原元死刑囚の命令があれば殺害しようとすることもあり得たでしょう」 実際に被害者の会の永岡弘行代表や被害対策弁護団の滝本太郎弁護士らが猛毒ガスのVXなどで襲われるなど、教団に批判的な立場の人たちが標的となっていた。 そして地下鉄サリン事件や教団への強制捜査から23年後の2018年、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件、地下鉄サリン事件、サリンの生成などに関与した麻原元死刑囚をはじめとする教団幹部13人の死刑が執行された。 伊藤氏: 「死刑執行はオウム真理教による一連の事件のひとつの節目だったと思います。現行の法制度の最高刑が死刑であるならば、最高刑を執行するのが社会的なけじめだったと思っています」 ◆被害者、遺族の弁償に向き合わない後継団体アレフ 伊藤氏: 「そして次の節目が被害弁償の完了です。後継団体の「アレフ」に対しては裁判を起こし、判決が確定しましたが、自主的に払おうとしないどころか、こちらが強制執行しようとしてもそれを逃れようという画策をずっとしています。 こういうひどいことをやっているので、これを絶対に最後まで弁償させるということが大事な役割だと思っていて、被害対策弁護団の活動の大きな柱です」 後継団体のアレフに対しては2020年11月に最高裁で、「オウム真理教が負っていた賠償金はアレフが賠償しなければならない」との10億2500万円の被害弁償の判決が確定している。 伊藤氏: 「強制執行による差し押さえは数千万円規模で遅延損害金にも足りていません。資産は10億円を超えるとみていて、今後は強制執行に対しての妨害行為があれば強制執行妨害罪での告訴なども検討したいと思っています」 公安調査庁によるとアレフには団体規制法に基づき、構成メンバーや現金・預貯金・土地建物などの資産、収益をあげている事業などについて3カ月ごとに公安調査庁への報告義務があるが、不報告や虚偽報告を続けているという。 2020年以降、報告される資産額が急激に減少していることから組織的な資産隠しが行われているとみて、土地建物の使用を禁止するなどの再発防止処分を請求している。 公安調査庁は立ち入り検査でアレフの資産は少なくとも7億円に上ることを確認している。 資産報告は数千万円にとどまることから、把握できていない資産を含めて、資産隠しは7億円から10億円以上にのぼる可能性もあるとみている。 これに対してアレフ側は、「資産は団体のものではなく、個人のものだ」と主張しているという。 ◆「警察は事件を総括したのか、次に対応できるのか」 一方、一連のオウム事件では警察の管轄権から警視庁が当初からの捜査に入れなかったことなどから、警察法が改正されて広域組織犯罪では警察庁の指示を受けて、警視庁なども捜査できるようになった。 伊藤氏: 「問題は警察組織が一連の事件をきちんと総括して、態勢が取れるようになっているのかということです。 オウム真理教の一連の事件に対する警察庁や警視庁などの反省が聞けていないと感じています。あの点はまずかった、ここが不十分だったということが伝わってこない。 反省のないところに改革はありません。何が足りなかったのか分析が不十分で、また同じような団体がでてきたら、また同じような対応になりかねないと感じています」 「メディアには『政府や警察はオウムの一連の事件を総括して次にいかしているのか』ということを常に問題視してほしいと思っています」 伊藤氏は地下鉄サリン事件の前に数回、麻原元死刑囚と面会したことがある。 伊藤氏: 「私みたいに宗教とか超常現象に関心がない人間からすればまったく何も感じませんでしたが、当時の信者が言っていたのは『分かりやすくストレートに答えをだしてくれる』ということでした。歯切れのいい、これが正解ですという答えをだしてくれることにひかれた人はいたと思います」 ◆「宗教という仮の簔(みの)に気がついた」 伊藤氏: 「麻原元死刑囚はもともと薬事法違反で摘発されるなどお金への執着が強かったですが、『宗教という仮の蓑を着る』ことに気がついたのだと思います。 それなりに信者を増やして、お布施で多額の金や資産を得て、ある程度の成功は手にした。ただそのためなら人を殺しても構わないというあるまじき倫理観、倫理のかけらもないところが致命的な欠陥だったと思います。 それは既存宗教やカルトなどについても言えることで、宗教の名をかたって利益を追求しているのなら、宗教を利用しているという側面は否定できないと思います」 伊藤氏は「オウム真理教による問題は終わっていない」と強調する。 伊藤氏: 「私の立場からすれば、死刑執行というけじめはありましたが、オウム真理教の問題は賠償や被害者のことを考えてみても、何年たってもいまだに終わっていないということです。 ご遺族にとってもそれは同じことだと思っています」