正義感が人を殺すトリガーになっている…いつの間にかあなたが「ネット私刑」に加担してしまうメカニズム

SNSの普及で社会はどう変化したか。ジャーナリストの肥沼和之さんは「気軽に意見や提言を発信できるようになった一方で、ひとりの人生を終わらせる恐ろしい力を持つことになった」という――。(第2回) ※本稿は、肥沼和之『炎上系ユーチューバー』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。 ■SNSでボロクソに叩く「ネット私刑」の是非 一般人が人に罰を与えることを私刑という。1923年に発生した関東大震災では、震災後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根も葉もないデマが広まり、香川県から薬の行商で村を通りかかった15人が自警団に襲われ、子どもや妊婦を含めた9人が殺害される「福田村事件」が起きた。 同事件のように、暴力という物理的な方法で行われるそれもあるが、近年問題になっているのが「ネット私刑」だ。不祥事をしてしまった人や企業、不倫が発覚した芸能人、SNSで不適切な投稿をしたインフルエンサー、時代錯誤のCMを放送した企業などを、全く関係のない一般人たちが、SNSでボロクソに叩くことである。 炎上してしかるべき(だからと言って叩いていいかどうかは別として)ものもあれば、そんなことに目くじら立てなくてもいいのでは、と思ってしまうほど些末なものもある。しかし後者であっても、あまりに騒動が大きくなり、当該者が謝罪や引責に追い込まれる。誰しもそんな様子を目の当たりにしたことがあるのではないか。 ■「恋愛リアリティショー」で起きた“事件” 自覚的あるいは無自覚的にでも、人に迷惑をかけたり、不適切な行動や言動をしてしまったりしたら、注意や批判・非難をされる。それ自体はおかしいことではない。 ネット私刑が恐ろしいのは、改善してほしいからこそ苦言を呈する愛のムチなのか、単にサンドバッグにしたいだけなのか、境界が見えづらいからだ。 世直し系ユーチューバーの活動そのものや、彼らのファンやアンチが敵とみなした相手を攻撃することも、一種の私刑である。そこで、ネット私刑の事例を紹介しつつ、人々が私刑に加担してしまうメカニズムを考察していく。 記憶にある人も多いと思うが、とりわけ悲惨だったのが、2020年5月に自ら命を絶ったプロレスラー・木村花さんだ。 複数の男女が共同生活を送る「恋愛リアリティショー」に出演していた木村さんは、プロレスのコスチュームを洗濯機に入れたままにしてしまう。そのまま男性メンバーが洗濯機を回したところ、コスチュームが縮んでしまい、木村さんが激怒。男性は謝罪するも、収まらない木村さんは、相手の帽子を取って投げ捨てる。 その様子を見た視聴者たちが、一斉に木村さんに攻撃を始めたのだ。「コスチュームを入れっぱなしにするな」「お前も悪い」「暴力とか最低」など、木村さんにも非があると指摘し、非難するコメントが殺到。ついには「生きてる価値が無い」「死ね」など過激なものになり、木村さんは命を絶ったとされている。

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