山崎五紀&立野記代が世界を獲った日「私たちは当たり前だと思ってた」 伝説のWWF世界女子タッグ王座戴冠秘話と未来へのエール

【前編】では、12月1日に開催される『KANREKI CARNIVAL』の裏側と、全女時代の知られざるエピソードを語ってくれたJBエンジェルスの山崎五紀と立野記代。 しかし、JBエンジェルスの功績は、それだけにとどまらない。 1988年、二人は当時世界最大のプロレス団体であったWWF(現WWE)で、日本人としてそして女子レスラーとして、史上初となる「WWF世界女子タッグ王座」を戴冠。 第1回『ロイヤルランブル』という歴史的な舞台で、その名を世界に刻み込んだ。 なぜ、JBエンジェルスは異国の地で、そこまでの偉業を成し遂げることができたのか。英語も話せないそんな二人が全米を熱狂させた本当の理由とは。 【後編】では、伝説のWWF遠征の真実、そして現代のレスラーたちへ送る、JBエンジェルスからの熱いメッセージをお届けする。 ■WWF王座戴冠「私たちは、できて当たり前だと思ってた」 ――JBエンジェルスのキャリアを語る上で、絶対に外せないのがWWFでの世界女子タッグ王座戴冠です。今、振り返るととてつもない偉業ですが、当時はどのように感じていらっしゃったのですか? 立野: うーん、それがね……「当たり前だな」って思ってました。 山崎: そうそう。「私たちなら、取れる」って、普通に思ってたよね。 ――(笑)。それほどの自信があった、と。 立野: 自信、というか……それまでの全女の練習があまりにも厳しすぎたから。あれだけのことを毎日、毎日、倒れるまでやってきた。だから日本のプロレスが世界で一番なんだっていう、絶対的な自負があったんです。技術で負けるわけがないと。 山崎: だからアメリカに行っても日本のスタイルを、そのまま強引にロックアップも全部右側(全女式)でやってましたからね(笑)。 立野: そうそう。だから今でも当時のアメリカのファンの方に言われるのは、「君たちの試合は、カルチャーショックだった」と。当時のアメリカの女子プロレスは、まだ、そこまで確立されていなかったから。 山崎: ムーラー(ファビュラス・ムーラ)が、全部、仕切ってましたからね。 立野: そう。だから私たちが日本の全女のスタイルで試合をしたら、もう現地のプロレスラーたちが、みんな控室から出てきてモニターの前に集まってくるんです。「あれが、エンジェルスだ」って。 山崎: 終わって控室に帰る頃には、もう誰もいない(笑)。 立野: それぐらい衝撃的だったみたいです。だからベルトを獲れたのも当たり前。「だって、私たちが、一番できるもん」って、本気で思ってましたから。 ■幻のレッスルマニア出場「日本から送ってもらって、用意はできてたんです」 ――その活躍は、ビンス・マクマホンや、ハルク・ホーガンの目にも留まったそうですね。 山崎: そうみたいですね。ホーガンたちとは、プライベートジェットで、一緒に移動させてもらったりもしました。 立野: ストレッチリムジンが、空港に2台停まってて。1台はホーガンで、もう1台は、誰のだろう?って思ってたら、出ていくと「こっちです」って、私たち用だったり(笑)。 ――すごい! まさに、スーパースター待遇ですね。 山崎: 当時はもう何が何だか分かってなかったですけどね(笑)。 立野: でも本当に推されてるな、っていうのは感じてました。ホーガンが、ちょうど休みに入るタイミングで、「俺がいない間の半年間はエンジェルスをメインにしろ」って、言ってくれていたみたいで。 ――女子でWWFのメインを張ると。 立野: そう。それで、あの『レッスルマニア』(IV)にも、ブッキングされてたんです。ホーガン対アンドレ(・ザ・ジャイアント)の世紀の一戦の時。 ――あの伝説の大会に! 立野: もう衣装も全部、日本から送ってもらって、用意はできてたんです。琴とか三味線とか和楽器を使った、すごい入場曲も作ってもらってて。 ――それが、なぜ実現しなかったのですか? 立野: 全女から「先輩たち(ジャガー横田、デビル雅美ら)がみんな引退して選手が足りないので、今すぐ帰ってこい」って、電話一本で。 山崎: (苦笑)。 立野: もう、その一言で、全部パーですよ。その後に決まってたヨーロッパもカナダも全部キャンセル。 山崎: 当時の私たちはまだ、『レッスルマニア』が、どれだけ価値のあるものなのかも、分かってなかったからね。「ふーん、そうなんだ」ぐらいで。 立野: そうそう。本当にもったいなかったよね。 ■「私たちは、グレーだった」 英語ゼロで乗り切った、アメリカ武者修行 ――当時のアメリカ遠征、英語でのコミュニケーションは、どうされていたのですか? 立野: ゼロです。ゼロ(笑)。 山崎: ジェスチャーと、勢いだけ(笑)。 立野: もう、人には言えないような、失敗も、たくさんしましたよ。読めない、喋れないで。 ――その中で、よくあれだけの信頼を勝ち取りましたね。 立野: でも関係者の人たちは、みんな、赤ちゃんに話すみたいに、ゆっくり優しい英語で理解できるように話してくれました。あと、やっぱり大きかったのはダイナマイト・キッドとか、デイビーボーイ・スミスとか、日本(全日本プロレス)に来ていた選手たちが、すごく、気にかけてくれたんです。 山崎: ハーリー・レイスも、そうだったよね。 立野: そう! ハーリー・レイスが、当時、レスラーのボスだったから。「ハーリー・レイスが気にかけてるエンジェルスに、下手なことをしたら、どうなるか分かってるな?」って、周りに言ってくれてたみたいで。 ――それは、なぜ、そこまで? 立野:「俺たちは、日本で、ババ(ジャイアント馬場)や、イノキ(アントニオ猪木)に、すごく世話になった。だから、その恩を、お前たちに返すんだ」って。 ――すごい話ですね……。日本のプロレスが、お二人を異国の地で守ってくれたと。 山崎: 本当にそうなんです。だから意地悪されたり物を盗まれたりっていう経験は、一度もなかったですね。……あ、でも、一度だけ、壮大なドッキリを仕掛けられて、本気でキレたことはありましたけど。 ――ドッキリ、ですか? 山崎: そう。試合前に、プロモーターと、現地のポリスが組んで、「お前たちは、ビザに問題があるから、逮捕する」って、パトカーに乗せられて。 立野: 手錠まで、かけられてね(笑)。 山崎: もう、私は心臓バクバクですよ。「こんなの、日本にバレたら、大変なことになる!」って。それで本物の警察署の牢屋に入れられてる人たちの前で、「指紋を取る」って言われて。もう号泣しながら「荷物まとめて、今すぐ日本に帰る!」って、キレまくってたら、控室でみんながゲラゲラ笑ってるんですよ。あれは本当に頭に来ましたね(笑)。 ――(笑)。それは壮大な仕掛のドッキリでしたね!

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