「社会では普通には生きられない。死ぬまでこのさだめを背負って、冤罪者は生きる」無罪確定まで25年 山田悦子さんが訴えた「冤罪被害者」の現実【後編】

無実であるのに、犯罪者として扱われる「えん罪」。このえん罪の被害者となった女性が今年1月、岡山市内の高校で特別授業を行いました。 殺人罪に問われて25年もの間、裁判で闘い続けたこの女性【画像(1)】。授業を通じて若者たちに何を伝えようとしたのか取材しました。 【前編】「まず身体検査、真っ裸にされる、すっぽんぽんに」 からの続き ■「今は普通に暮らせていますか?」の問いに山田さんは… 事件が起きたのは1974年。兵庫県西宮市の知的障がい児施設「甲山学園」で園児2人が行方不明になり、園内の浄化槽から遺体で発見されました。 行方不明になった日の当直で、激しく取り乱していた当時22歳の保育士の山田さんが殺人罪で逮捕されました。 過酷な取り調べで、山田さんは一旦は嘘の自白をしましたがその後、一貫して無実を主張し不起訴処分となります。 しかし逮捕から4年後に、「園児を連れ出したのを見た」という別の園児の目撃証言が決め手となり、山田さんは再逮捕されます(【画像(2)】は当時の山田さん)。 地裁判決では無罪が言い渡されましたが、5年後の高裁判決では破棄差し戻しとなります。その後、地裁・高裁であらためて無罪判決が出され、最終的に山田さんの無罪が確定したのは事件発生から25年後でした【画像(3)】。 (高校生)今は普通に暮らせていますか? (山田悦子さん) 「レッテルを貼られた中での、普通の日常生活はできますよ。社会では普通には生きられない。これは仕方がない、さだめです」 「だから、死ぬまでこのさだめを背負って、えん罪者は生きるわけです」 ■山田さん「鵜吞みにせず自分で考えられる人になって」 (取材したコメンテーター・春川正明さんのリポート) 「特別授業が終わった後に、希望する生徒が教室に残って、山田さんを囲んでの意見交換会が開かれています」 (山田悦子さん) 「こんな美しい時があったのよ、見て【画像(5)】。信じられないでしょ。しわがない(爆笑)」

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