「覚醒剤使った」仲間は拍手した 依存からの回復、撮り続けた20年

覚醒剤などが手放せなくなる薬物依存症。この病気から回復をめざす人たちを約20年にわたり、記録した映像がある。「人間は誰でもやり直せることを、彼らを通じて見て欲しい」。そんな思いを込め、映画化の準備が進む。 ■世間の人が頭にくるような作品に 映画は、全国にある薬物依存症の回復施設「ダルク」創設者、近藤恒夫さん(2022年に80歳で死去)を中心としたドキュメンタリーだ。薬物依存症の当事者たちに寄り添う姿を映し出している。 映像ディレクター中沢一郎さん(59)が、04年からカメラを回した。近藤さんと信頼を築き、当事者が自分をさらけ出すミーティングなども撮影できたという。 東京・上野のダルクで撮り始めた頃、近藤さんから求められたことがある。「世間の一部の人は頭にくるような、きれいごとではない作品にしてくれ」 かつては、「覚醒剤やめますか。それとも人間やめますか」と問いかけるテレビCMも流れていた。 依存症の当事者を犯罪者として描くのではなく、リアルな人間の姿を伝えてほしい――。そんな意味だと、中沢さんは受け取った。 ■違法行為をねぎらう理由 依存症は「孤立の病」とも呼ばれる。 ダルクでの回復プログラムの柱は、当事者同士のミーティングだ。「言いっぱなし・聞きっぱなし」で思いを語り合う。 元暴力団員から高学歴の会社員まで、様々な当事者を映した。そこには上下関係はない。一人一人が自分の内面を掘り下げ、薬物への渇望や回復への願いを口にした。 ある参加者が「隠れて(覚醒剤を)使ってしまいました」と打ち明けたことがあった。 仲間は拍手した。「正直に話してくれた」と、抱きしめた。 20年近くダルクにいた男性が再使用した時も、仲間たちは受け入れた。近藤さんは「まだ一人にならない方がいい。それが病気だ」と語りかけた。 世間では非難を浴びる違法行為が、ダルクでは温かくねぎらわれていた。 中沢さんは「自分自身にこれほど向き合っている人たちがいるとは」と驚き、ひきこまれた。 女性のダルクも訪ねた。性暴力やDVの被害など壮絶な過去に圧倒されながらカメラを回した。 ■再使用を見抜いても 近藤さん自身も依存症者だった。若い頃に歯痛を抑えようと覚醒剤を使い始め、逮捕されたこともある。 裁判長の前で「私の意思の力では、クスリを止められません。刑務所に入れてください」と訴えたという。 アルコール依存症の神父に支えられて薬物をやめた。 1985年、日本で最初のダルクを東京で開設。違法薬物だけでなく、市販薬や処方薬も含めた依存症者を受け入れ、その回復を支えてきた。 観察眼は鋭く、ダルクの利用者が薬物を使っているかどうか見抜いた。ただ、自分からは何も言わなかった。「がんばんないでいいよ」と声をかけることもあった。 ■「ダルクで救われたのは俺だな」 「寄り添いと居場所。それがダルクだ」と言っていた。ダルクは現在66団体に増えた。今では厚生労働省も公式サイトなどで薬物問題の相談先として紹介している。 近藤さんは生前、ダルクでの回復者を「2万人以上」とみていたという。 22年2月に大腸がんで亡くなった。病床での撮影時、「ダルクで救われたのは俺だな」と語った。 ■「近藤さんたちに会いたくなった」 中沢さんが撮影した映像は、様々な事情が絡み、近藤さんの追悼番組をつくったほかは社会に送り出せないでいた。それでも、ダルクに足を運び続けたのは、「間が空くと、また近藤さんたちに会いたくなった」から。 「近藤さんや当事者の魅力をもっと伝えたい」と映画化を決めた。 「偏見が根強かった時代に、近藤さんは回復の第一歩となる場をつくった。映画を通じて薬物依存症の人が私たちと変わらない人間であり、人は誰でも生き直す権利があると知ってほしい」と話す。 作品は撮影の9割ほど終わった。2027年夏の公開をめざし、まもなく編集作業に入る。製作費の一部に充てるクラウドファンディング(CF)を呼び掛けている。 寄付は「ドキュメンタリー映画『ボーン・アゲイン 薬物依存症と生きる』制作支援プロジェクト」のCFページ(https://motion-gallery.net/projects/drug-addict-eiga)へ。6月30日まで。(永田豊隆)

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