「宮内庁御用達」など今はもう存在しないのに…皇室をめぐる詐欺事件がなくならない諸悪の根源

なぜ皇室や皇族をめぐる詐欺事件はなくならないのか。皇族の歴史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「戦後に身分制度は解体されたものの、天皇と皇族は特別な立場で存続し、そうした特権を旧皇族の末裔を騙る人物などは利用している。とくに断絶した宮家の名前は悪用されやすい」という――。 ■華頂宮家を名乗るYouTuberの騒動 旧皇族の末裔(まつえい)だと称するYouTuberが現れて、騒ぎになった。 旧皇族とは、戦後、日本国憲法と新しい皇室典範が施行された後の1947(昭和22)年10月14日に臣籍(しんせき)降下した11の宮家に属していた人々のことを指す。 今回のYouTuberは、華頂宮(かちょうのみや)家の華頂博一(ひろかず)を名乗っている。華頂宮家という名はあまり聞かないものだが、それもそのはずである。華頂宮家は、旧皇族の伏見宮(ふしみのみや)家の分家ではあるものの、大正時代にすでに断絶していた。 これを報道した『週刊文春』によれば、華頂博一なる人物は、旧皇族が歴代の総裁をつとめてきた一般社団法人日本文化振興会の副総裁になっていた。しかも、歴史研究家の肩書で「旧皇族 華頂宮チャンネル」に出演し、旧皇族にしか知り得ないという話を披露していた。チャンネルの登録者数は11万人にも及び、全国各地で有料の講演会まで開いていた。 今のところ、事件にはなっていないのだが、旧皇族の末裔を騙(かた)って金銭的な利益を得てきたのだとすれば、それは社会的に問題になる行為である。 ■旧皇族のニセの末裔の正体 そもそも華頂宮家は、慶應4(1868)年に創設された歴史の浅い宮家である。 初代の当主は伏見宮邦家(くにいえ)親王の第12子だった博経(ひろつね)親王だった。博経親王は一旦は出家し、知恩院門跡となったが、孝明(こうめい)天皇の勅命によって還俗し、華頂宮家を創設している。 華頂宮家は、その後、第4代まで続く。だが、第4代の博忠(ひろただ)王が嗣子(しし)(あとつぎ)を残さないまま亡くなったことで、宮家として断絶した。弟に博信(ひろのぶ)王がいたが、旧皇室典範では、直系でなければ、宮家の継承が認められなかった。そこで博信王は臣籍降下し、侯爵として華族に列せられた。侯爵は公爵に次ぐものである。華族制度も、戦後廃止された。 博信王には孫が現存している。その孫によれば、華頂博一の存在は初耳だということだった。明らかに、華頂博一は旧皇族の末裔の偽物ということになる。 『週刊文春』の記事のなかでは、その人物は佐世保の出身で、派遣労働で生計を立てながらバンド活動をしていたという。記事が出た後、YouTubeの動画はすべて削除されている。最後の動画では、華頂博一なる人物がスーツを着て、トレードマークの山高帽をかぶり、騒ぎを起こしたことを謝罪していた。謝罪はしているものの、自分が旧皇族の末裔を騙ったとは告白していなかった。

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