山形県縦断駅伝競走大会は29日、南陽・東置賜が2年ぶりの総合優勝を果たし、幕を閉じました。それぞれの思いを胸に県内各地域の11チームがたすきをつないだ3日間、そこには涙や喜び、数々のドラマがありました。 県縦断駅伝1日目。ことしは異例の大会となりました。 解説者東海大山形高校陸上部監督 田宮健さん「長丁場の20.2キロの8区がなくなった。7区までの区間と9区からの再スタートで流れが変わってくるのかなと」 大会一番の長距離区間で、例年エース級が出場する8区、庄内町狩川と戸沢村古口間のレースが去年の大雨災害の影響で行われないことに。そのため、7区で一時中断し9区から一斉に再スタートする異例の形となりました。 それまでの流れが一度切られる形となる一斉スタート。 レースは大会前の予想通り、9区の一斉再スタート後、流れが変わります。集団から一気に飛び出したのが山形でした! 実況「まだ300メートルですが東海林選手すでに飛び出しています。トップの酒田飽海と総合タイムの差で2分23秒差どこまでこの差を詰めることができるか注目」 7区まで3位につけていた山形。東海林が区間記録を1分以上も塗り替える走りを見せ、トップに躍り出ます。そのまま山形が初日優勝を果たしました。 山形チーム 東海林宏一選手「目標が初日優勝。私の記録というよりは9区で他のチームを離すことに注力して走った。結果的に区間新がついてきて自分としては100点上げられる走り」 大会直前、監督が建造物侵入容疑で逮捕され、急遽変更となる緊急事態に見舞われた山形。それでも、最終区のアンカー対決を制して3日目も優勝し高いチーム力を見せました。 監督を兼任した山形・斎藤直己総監督「急遽ということがあったが私自身やることはどういう立場でも変わらないということで、やれることをやろうと自分の中で考えてそこに選手たちもしっかり応えてくれてチームの力を発揮することができた」 今大会は3日間とも気温がおおむね15度から20度前後で経過し、ランナーが力を発揮しやすいコンディションに。22の区間新記録が誕生する「新記録ラッシュ」となりました。 大会2日目、レース中盤に飛び出し、優勝のゴールテープを切ったのは、酒田・飽海。選手たちにはことしに懸ける特別な思いがありました。 鈴木拳選手「阿部亮監督がことし最後なので恩返しが少しでもできたらと思って走った」 この大会を最後に酒田・飽海の阿部亮監督(54)がチームを退くことに。阿部監督は高校1年の時から県縦断駅伝のメンバーになり、大会9連覇を果たした「黄金時代」を経験。 1986年実況「第5区大山ー鶴岡間6.3キロで酒田・飽海は当時冬季ロードレース中学チャンピオン酒田商業1年の阿部亮選手。この区間阿部の踏ん張りで酒田飽海は初めてトップに立ちました」 2005年から酒田・飽海の監督に。2006年の大会で総合優勝を果たし、以降もチームを毎年5位以上の成績に導いてきました。 選手の弱点や改善点を鋭く突き、理由を交えながらアドバイスを送る阿部監督。多くの選手と固い信頼関係を築いてきました。 現役時代もあわせてチーム在籍は40年。節目を迎えることからことしが最後と決めました。そして迎えた最終日。 ゴール実況「酒田飽海・阿部亮監督最後の縦断駅伝。その最後を飾ります。高橋健人笑顔が見えます。いまフィニッシュ。」 花束「お疲れ様でした~ありがとうございますたくさんありがとうございました」 教え子たちからの胴上げです。県縦断駅伝を歩んできた年数と同じ40回宙を舞いました。 阿部亮監督「かつての黄金時代の強さを伝えるのが私の使命。1日目2日目と首位を独走する姿を見て、これなんだと選手たちも勝ち方をわかってきて成長してきたなと昭和から平成と常にトップを狙い続けた酒田飽海これから令和でまた新しい酒田飽海チームを作ってほしい」 ことしも数々の記録や喜びが見られた県縦断駅伝。来年はどんなドラマが待っているのでしょうか。