分離独立運動が再興したのは、2008年6月に南カシミールのアマルナース寺院の土地帰属をめぐって住民たちが抗議をした一連の事件だった。当時のシンハ州知事の主導で、寺院は新たに作られた管理委員会に帰属することになったが、そこにカシミールの代表者はいなかった。そのことに反発し、分離独立を求める数万人規模の集会が幾度となく開かれた。このときは60人余りが警察や軍隊の発砲で亡くなっている。この頃から、一般住民が投石等の抗議行動するのが、日常化しはじめていた。 2010年7月、抗議行動に参加していたトゥヘイル・マットゥーさん(17歳)に催涙弾が当たり、死亡。それが引き金となって抗議行動が広がり、3か月余りで111人の死者を出すこととなった。 死者が多いのは。軍隊特権法によって罰せられないのを知っている治安部隊がすぐ発砲するからである。