来なかった、ささやかな幸せの「明日」首都高6人死傷事故 夫奪われた妻、厳罰求め初公判

首都高速道路美女木ジャンクション付近(埼玉県)で昨年5月、6人が死傷した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)罪に問われた降籏紗京被告(29)の初公判が20日、東京地裁で開かれる。「厳罰で臨んでほしい」。突然、夫を奪われた女性は、今も癒えることない悲しみと闘いながら、初公判の日を迎える。 船本恵津子さんの人生が一変したのは、令和6年5月14日のことだった。被告が運転するトラックが、朝のラッシュで渋滞していた夫の宏史さん=当時(54)=の車に突っ込んだ。巻き込まれた車が炎上するなどし、宏史さんら3人が死亡した。 ■変わり果てた姿 炎の勢いは強く、宏史さんの車も骨組みだけとなった。DNA型鑑定での身元確認には2週間を要した。 対面した遺体は焼けただれ、宏史さんの面影はなかった。すぐに荼毘に付さねばならず、会えたのも、たった2時間だった。 ただ、車はあれだけ焼けたが、持っていた財布は燃えなかった。恵津子さんがプレゼントしたものだった。中には、顔写真が写る免許証も、しっかりと残っていた。「早く家に帰りたかったのかな」「見つけてほしかったのかな」。今も、財布を見つめる度に、そう考える。 ■奪われた日常 思えば、自分にはもったいないくらいの夫だった。 交際期間も含めると四半世紀の「仲」だ。けんかもしたが、1時間も経てば笑って食事を取ることができたし、家事も手伝ってくれた。 事故直前の休日にも一緒にカレーを作ってくれた。カレーをおかわりしようとする宏史さんに恵津子さんは「明日にしたら?」と止めていたことを思い出す。何気ない、幸せな日常だったが、その「明日」は来なかった。 夜のカレーを楽しみに出かけた宏史さんは事故に巻き込まれた。「もうちょっと食べさせてあげればよかった」。後悔が尽きることはない。 ■募る怒り 事故後、遺体確認までの2週間で体重は10キロも落ちた上、睡眠薬が欠かせなくなった。朝、目覚める度に、宏史さんのいない日常に絶望し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)とも診断された。 自殺を考えたこともあったが、今は、夫を奪った被告の公判の行方を見守るため、気持ちを強くしている。

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