【6歳女児わいせつ】「信用することができない」犯行を否認し続けた被告を一刀両断にした裁判官の言葉

「私は、ついてこないでという意味合いで(肩を)押さえただけであり、決してわいせつなことをしようと思ったわけではありません。以上です」 事件当時6歳の女児の胸を触ったとして不同意わいせつの罪に問われている田中元(はじめ)被告(51)は、最終陳述でもこう述べ、無罪を主張した。 しかし、裁判官がその主張を認めることはなかった。’25年6月25日、村田千香子裁判官は「懲役1年6ヵ月」(求刑2年6ヵ月)の実刑判決を言い渡したのだ。 「田中被告は、’24年10月6日、警視庁蒲田署に不同意わいせつの疑いで逮捕されました。同年7月28日に大田区の団地内でAちゃん(当時6歳)の胸を触った疑いです。田中被告は’14年にも当時8歳の児童に複数回わいせつな行為をしたとして、’15年2月26日に強制わいせつの罪で懲役3年の実刑判決を受けていました。出所後、約6年半で本件犯行に及んだことになります」(全国紙社会部記者) 4月18日に開かれた初公判では、Aちゃんの父親が出廷し、証人尋問のなかで、娘が性被害に遭ったことを知らされたときの衝撃をこのように語っていた。 「事件のあった日、娘は友達の家に遊びに行ってました。その友達のおばあさんから『Aちゃんが嫌なことをされた』と電話があり、その後ろから、娘の『胸を触られた』という声が聞こえてきたのです。私はすぐにその団地に向かい、娘に、『どうしたの? 何があったの?』 と聞きました。娘は身振り手振りも交えながら『胸を触られた』と話しました。そして、11階と10階の間にある階段まで娘といっしょに行き、被害に遭った現場を確認してから110番したのです」 Aちゃんは警察の取り調べにも、田中被告から「階段に来て」と言われ、そこで胸を触られたと供述している。また、「おじさん(田中被告)は(Aちゃんの)お友達が来て逃げた」とも話したという。 Aちゃんも、事件直後にAちゃんから話を聞いた父親も、供述は一貫していた。 一方、逮捕直後には「女の子が着ていたTシャツの柄が見たくて、服の左胸付近をつかんだ」と話していた田中被告だが、「逮捕直後は記憶があいまいなまま、警察の『こうだったんじゃないのか』と言うとおりに、真実でないことを話してしまった」と、公判のなかで供述を大きく変えていた。 ◆「屋上からの景色を眺めたくて」 事件のあった日、現場マンション付近を車で通りかかった田中被告は、30年ほど前にそこの屋上から花火を見てきれいだったことを思い出したという。弁護人の質問に答える形で、田中被告はこう述べていた。 「屋上から下の景色を眺めたらきれいだろうなと思って、マンション内に無断侵入しました。エレベーターにいっしょに乗った女の子(Aちゃん)が11階のボタンを押しましたが、私はボタンを押しませんでした。11階の上は屋上なので、このままエレベーターに乗っていたら屋上に行くのがバレてしまう、そこで一度降りて別のエレベーターに乗り換えようと考え、11階でいっしょに降りたのです。 そして『降りたら階段に行くね』と女の子に声をかけ、階段に向かいました。階段を下りていると後ろに人の気配がしたので、振り向くと女の子がついてきていたのです。私は『ついてこないで』という意味合いで左肩付近を右手で押さえました。そのときに胸に手が触れたかもしれません。その後、驚いている女の子を落ち着かせようと、握手して指切りをして、『秘密だよ』と人差し指を口元に当てながら言いました」 マンション内に無断侵入したことがバレないように、Aちゃんに話しかけ、体に触れたのであって、「わいせつ目的ではない」と主張したのだ。 しかし村田裁判官は、判決を言い渡した後、「無断侵入の発覚を恐れてAに話しかけたという供述の内容自体が不自然で不合理。また捜査段階とは供述内容が変わったが、その変遷の理由を合理的に説明できていない。被告人の供述を信用することができない」と述べたのだった。 予期せぬ事態から体調不良でフジテレビを退社、その後もPTSDに苦しめられた元アナウンサーの渡邊渚氏は「性暴力」問題について思いの丈をつづった手記(週刊ポスト’25年6月20日号掲載)のなかで、精神科医ハーマンの著書『真実と修復』(みすず書房)の一節に触れながら、このように述べている。 「加害者は呼吸をするように平気で嘘をつき、事実を歪めて自分の都合のいいような解釈を繰り広げる」 そして被害者はその身勝手な嘘のためにさらに辛い苦しみを受けるのだという。公判のなかで繰り広げた田中被告の主張は、再び児童にわいせつな行為をした自分に都合のいい嘘だったのだろうか。 取材・文:中平良

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